2022年11月15日 投稿
2023年10月20日 更新
2024年10月25日 更新
【試験の範囲】
540-25 鎌倉幕府の成立
540-26 幕府の交代
540-27 応仁の乱
540-28 戦国の世
【平常授業のテキストで扱うべき問題と順番の一例<いつも通りなので再掲>】
SAPIXの各種テストは、一問一答形式で出題されることがほとんどありません。
リード文や設問から「関連する知識を引っ張り出す→設問の条件に当てはめて答える」形式がほとんどです。
つまり、平常テキストで出ている知識事項については盤石にしておく必要があります。
平常テキストは
授業の確認問題 基礎
→授業の確認問題 発展
→授業の確認問題 実戦
と進めて、入試問題で出題されるレベルまでおさえてから、
→デイリーステップ パート1・2
で全体を改めて復習、とするのがおすすめです。
【試験範囲から考える注意点】
<743>墾田永年私財法を境に、朝廷の力が弱まり、平安時代には貴族が政治の実権を握ることになりました。
今回の範囲は、武士の政治システムである「幕府」が、全て登場する回になっています。
時代でいうと鎌倉・室町・安土桃山・江戸初期の4つですので、「武士の時代」と言っても良いかもしれません。
幕府も時代を追うごとに、「敵」として認識している存在が増えて、設置している役職や機関も変わってきます。
また、各時代が何によって始まり、どう終わったのかという因果関係(流れ)をおさえることが重要でしょう。
【各回のトピックス】
優先順位を
◎:基礎的な内容が中心で、確実に身につけたい内容
○:少々細かい内容も含まれるが、できるだけおさえておきたい内容
△:頻出ではないので、少々復習の優先度が下がる内容
としています。
540-25 鎌倉幕府の成立
・鎌倉時代の武士のくらしを見てみよう ○
武士の館の名前が「武家造」、走っている馬に乗りながら3つの的に向かって矢を射るのが「流鏑馬」、遠くに置いた笠に向かって矢を射るのが「笠懸」です。
食事の出題はまず見たことがありません。
・歴史人物・クローズアップ ○
北条政子の写真・源頼朝の妻・承久の乱のときに御家人を説得した話はよく出るので必ずおさえましょう。
承久の乱のときの執権は2代北条義時。御家人を説得したのは北条政子です。
源義経は源頼朝の弟、というのをおさえればOKです。
①平氏の滅亡と鎌倉幕府の成立 ◎
乱は名前だけでなく、おおかたの中身を掴んでおきましょう。
<1156>保元の乱
内容 後白河天皇vs崇徳上皇
結果 天皇方に平清盛、源義朝がついて勝利、その後は平氏ばかり重く用いられるようになる
<1159>平治の乱
内容 平氏vs源氏
結果 平氏が勝ち、平清盛が政治の実権を握ることになった
<1167>平清盛が武士として初めて太政大臣になった
内容 もともと農民が武器を持っただけであった武士が、政治の世界で大出世を果たした(太政大臣=大宝律令で設定した太政官のトップ)
結果 藤原氏にならって自分の娘を天皇の后にして、生まれた子を天皇にし、朝廷の重要な地位を独占
結果2 大輪田泊(神戸)を改修して、日宋貿易で利益を独占した
・数々の伝説を生んだ源平合戦 △
源平合戦はおおかたの場所をおさえておきましょう。
壇ノ浦が最もよく聞かれます。
<1180>石橋山の戦い〜静岡
内容 源頼朝、平氏に大敗
<1180>富士川の戦い〜静岡
内容 水鳥の旅立つ音を敵が来たと誤認して、平氏敗走
<1183>倶利伽羅峠の戦い〜富山と石川の間
内容 源義仲(木曽義仲)が平氏を大敗させる
<1184>一の谷の戦い〜兵庫
内容 源義経「鵯越の逆落とし」で坂を駆け下りて奇襲
<1185>屋島の戦い〜香川
内容 那須与一が平家の船に掲げられた「扇の的」を射抜いた
<1185>壇ノ浦の戦い〜山口、本州の最西端
内容 源義経が平氏を滅亡させる
<1185>守護・地頭の設置
内容 裏切り者の源義経を追跡する名目で、全国の国ごとに守護、荘園ごとに地頭を設置
結果 実質、全国支配が可能となった
<1192>鎌倉幕府の成立
理由 鎌倉は三方を陸、一方を海に囲まれ、守りやすい地形だったから
※切通(きりとおし)の名前を答えさせる問題は頻出
制度 封建制度…土地を仲立ちとした「御恩と奉公」による将軍と御家人による主従関係
「一所懸命」「いざ鎌倉」
②源氏の時代から北条氏の時代へ ◎
頼朝の妻である北条政子は「尼将軍」と呼ばれ権力を握ったこと、
また、北条氏が「執権」の座について幕府の実質的な権力を握っていたことから始まり、
どうやって幕府の敵である「朝廷」「その他の武士」をおさえこんだかがポイントです。
覚えるべき執権は4人。
初代執権 北条時政…北条政子の父
2代執権 北条義時…大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公、「承久の乱」のときの執権
3代執権 北条泰時…「御成敗式目」
8代執権 北条時宗…「元寇」
人物名を聞いて、何をやったのかについても答えられると良いですね。
<1221>承久の乱
内容 後鳥羽上皇vs鎌倉幕府
結果 鎌倉幕府が勝利し、京都に六波羅探題を置き、朝廷を監視した
→これにより、朝廷の対策が取れたということになります。
<1232>御成敗式目(貞永式目)
人物 3代執権 北条泰時
内容 武士を取り締まる、裁判の基準
→これにより、その他の武士への対策が取れたということになります。
・地頭に苦しめられた農民たち △
資料の「阿氐河荘」という表現から、「荘園」を示していると判断し、鎌倉時代の資料と捉えること
荘園領主と地頭による二重支配となっていたことは覚えておくと良いですね。
また、「女性の地頭がいた」という内容は、SAPIXだと正誤問題で出てくることがありますので、知っておきましょう。「女性の地頭」はいました。
③新しい仏教と鎌倉時代の文化 ◎
「鎌倉新仏教をどうおさえるか」がポイントとなっています。
「宗派」と「開祖」と「教えの内容」はきちんと結びつけておきましょう。
東大寺南大門は鎌倉時代のときに、追加で作成したので、奈良時代と間違えないようにしましょう。
・栄西が伝えた「禅宗」と「茶」 ◯
お茶を持ち帰ったのは「最澄」と言われていますが、茶の実は「栄西」が持ち帰っています。
栄西は茶についての本を書いています。
「茶を持ち帰ったのは栄西」と覚えておくのが良いでしょう。
540-26 幕府の交代
・「能」の発達 ◯
大成したのは観阿弥・世阿弥、保護をしたのは足利義満です。
ちなみに、お面を使用するのが能、使用しないのが狂言です。
・歴史人物・クローズアップ △
マルコポーロはほとんど出題がなく、足利尊氏は写真と共に出てくることはほとんどありません。
①元寇と鎌倉幕府のおとろえ ◎
<1274>文永の役
<1281>弘安の役 〜2つまとめて「元寇」と呼ばれる
内容 元の皇帝フビライ=ハンを8代執権北条時宗が撃退する
結果 恩賞が少なく、御家人たちの不満がたまる〜永仁の徳政令<1297>
結果2 土倉・酒屋からお金を借りられなくなった御家人たちは、鎌倉に集まれなくなり、幕府の力down
この頃の武士は、普段農業をして暮らし、「いざ鎌倉」となったときに土倉・酒屋から借金をして、装備や食料、移動用の馬の調達などを行います。
鎌倉での仕事が終わったら、恩賞を受け取り、それを売って土倉・酒屋に借金を返済…
その後、また普段の生活に戻るという暮らしをしています。
恩賞が足りず、借金を返済しきることが難しかったので、永仁の徳政令で借金を帳消ししたわけですが、土倉・酒屋はそれ以降御家人たちに金を貸すことはなくなりました。
鎌倉に武士が集まれないわけで、必然的に鎌倉幕府は力を失い、後に滅亡することになります。
国内の朝廷・武士をおさえ込むことに成功しましたが、敵は外国にあったわけですね。
・モンゴル民族がつくった国 △
チンギス=ハンが国を作り、その孫はフビライ=ハンです。
この頃(室町時代)は朝鮮半島の王朝は高麗となっていますので注意です。
②鎌倉幕府の滅亡と室町幕府の成立 ◎
<1333>後醍醐天皇が足利尊氏、新田義貞、楠木正成の力を借りて鎌倉幕府を倒す
<1333>建武の新政
人物 後醍醐天皇
結果 天皇や貴族が中心の政治であるため、3年で失敗
結果2 天皇が同時に2人存在する南北朝時代に突入
<北朝>足利尊氏(の言いなりの天皇) 〜京都
<南朝>後醍醐天皇 〜奈良の吉野
結果3 守護が力をつけて守護大名に成長した
<1336>室町幕府の成立
人物 足利尊氏
場所 京都
内容 執権政治を反省し、将軍の補佐として管領を置いた
・鎌倉幕府にしたがわなかった武士たち △
足利尊氏と新田義貞は武士、楠木正成は悪党です。
③足利義満の時代 ◎
室町幕府でおさえるべき将軍は、
初代将軍 足利尊氏〜室町幕府を立てた
3代将軍 足利義満 ※
8代将軍 足利義政〜京都の東山に慈照寺銀閣、応仁の乱の原因
15代将軍 足利義昭〜織田信長により京都から追い出される
の4人です。
足利義満は「やったこと」がとても多いので※としています。
3代将軍のタイミングが全盛期となっています。
※足利義満
・京都の室町に「花の御所」という屋敷を作った
・分裂していた南北朝の合一
・日明貿易(勘合貿易)
きっかけ 倭寇の取り締まり
形式 明が上の立場、日本が下の立場の「朝貢形式」を取った
内容 明銭・生糸を輸入し、刀剣・銅を輸出
・京都の北山に鹿苑寺金閣〜北山文化
・能の保護
・「倭寇」と呼ばれた海賊たち △
倭寇は漢字で書くときに注意です。
「寇」です。
540-27 応仁の乱
・現代に基づく室町文化 △
茶の湯、生け花、枯山水あたりは必須です。
余力があれば、1日3食、盆踊りあたりもおさえましょう。
・歴史人物・クローズアップ △
足利義政の写真の出題はほとんどありませんが、雪舟はよく出ます。
水墨画と共に拾っておきたいところです。
①応仁の乱と戦国時代の始まり ◎
<1467>応仁の乱
内容 東軍〜細川勝元vs西軍〜山名持豊 に8代将軍足利義政の後継ぎ問題が合わさり、11年間京都で争いが続いた
結果 守護大名が力を失い、戦国大名が台頭、一揆の規模が大きくなった
●東山文化〜8代将軍足利義政のころの文化 ◎
・慈照寺銀閣
・水墨画…雪舟が描いた
・書院造…和室のもとになった
・「町衆」の手で復活した祇園祭 △
「祇園」と漢字で書けるようにした方が良いですね。
ちなみに、能・狂言・鹿苑寺金閣以外の室町文化はすべて東山文化です。
②民衆の成長と一揆の発生 ◎
・惣(惣村)…寄合によって村おきてを定めて、自治を行うようになった
<1428>正長の土一揆
内容 農民らが借金の帳消しを求めて、土倉や酒屋を襲った
<1467>応仁の乱
内容 東軍〜細川勝元vs西軍〜山名持豊 に8代将軍足利義政の後継ぎ問題が合わさり、11年間京都で争いが続いた
結果 守護大名が力を失い、戦国大名が台頭、一揆の規模が大きくなった
<1485>山城の国一揆
内容 現在の京都の南部の南山城で守護大名の勢力を追放し、8年間自治を行う
<1488>加賀の一向一揆
内容 加賀国で守護大名を滅ぼし、約100年間浄土真宗(一向宗)の勢力が国を支配
・大名を苦しめた民衆の力〜一向一揆〜 △
浄土真宗(一向宗)は親鸞が開き、蓮如が広めました。
③産業の発達 ◎
鎌倉時代
・二毛作が西日本に広まった
・肥料…草木灰
・牛馬耕の利用
・定期市…月3回
・宋銭
・問(問丸)…海上交通
室町時代
・二毛作が関東地方に広まった
・肥料…下肥
・水車の利用
・定期市…月6回
・明銭〜永楽通宝
・馬借…陸上交通
どのように発展したのかをおさえると、覚えやすくなると思います。
・戦国の世に栄えた「自治都市」・堺 △
商人の町、というのはおさえておきましょう。
540-28 戦国の世
・大名の力を反映した雄大な「桃山文化」 ◎
覚えることは多めです。
安土城を建てたのが織田信長、大阪城と伏見桃山城を建てたのが豊臣秀吉、姫路城の別名が「白鷺城」
「唐獅子図屏風」狩野永徳
(室町時代の茶の湯)→茶道〜千利休
かぶき踊り〜出雲阿国→(江戸時代の歌舞伎)
・歴史人物・クローズアップ △
武田信玄は「信玄堤」
上杉謙信はあまり出題されません。
①戦国時代と南蛮文化の伝来 ○
戦国大名が守護大名を倒す「下剋上」の時代です。
自分の城下町に独自の法律である「分国法」を定めました。
<1543>ポルトガル人により鉄砲が伝来する
場所 種子島
<1549>スペイン人のフランシスコ=ザビエルにより、キリスト教が伝来する
場所 鹿児島
結果 ポルトガル・スペインと南蛮貿易が始まる
銃ご予算 で作ります
<1543>
以後良く 広まるキリスト教
<1549>
など、超有名な語呂合わせもありますし、セットでおさえたいところです。
・戦国の世に鳴り響いた轟音〜鉄砲の伝来と始まり〜 △
堺で鉄砲が作られたこと
足軽鉄砲隊の存在については知っておくと良いでしょう。(真偽はハッキリしませんが)
②織田信長の時代 ◎
年表で出来事の因果関係(流れ)をおさえていきましょう。
<1560>桶狭間の戦い
内容 織田軍 vs 今川義元
場所 愛知
<1568>関所の廃止
内容 交通を自由にし、経済の活発化を図った
<1569>キリスト教の布教を許可
理由 仏教(一向宗=浄土真宗)をおさえるため
<1570>石山合戦
場所 石山本願寺
内容 織田軍 vs 一向宗〜顕如・雑賀孫市(雑賀衆)
<1571>延暦寺焼き討ち
場所 比叡山延暦寺(滋賀)
<1573>室町幕府の滅亡
内容 室町幕府15代将軍足利義昭を京都から追放
▼安土桃山時代
<1575>長篠の戦い
内容 織田軍 vs 武田勝頼
足軽鉄砲隊 武田騎馬隊
場所 愛知(静岡寄り)
<1576>安土城を築城
場所 琵琶湖のほとり (滋賀)
<1577>楽市楽座
内容 安土城の市場の税の免除、座の特権廃止 (後に、座の解散)
結果 多くの商人が集まって、安土城の城下町が発展した
<1582>本能寺の変
内容 本能寺で明智光秀に攻められ、信長が死ぬ
場所 京都
・「大うつけ」か「魔王」か?〜織田信長の一生〜 △
「表面」の知識の補強をしているという印象です。
③豊臣秀吉の時代 ◎
織田信長の時代と同様に、年表で出来事の因果関係(流れ)をおさえていきましょう。
<1582>山崎の戦い
内容 豊臣秀吉 vs 明智光秀 ~「三日天下」
場所 京都(大阪との境目あたり)
<1582>太閤検地
内容 京枡を使って単位を統一し、田畑ごとに石高・広さ・耕作者を調べ、検地帳に記録した結果、農民は自分の耕作する土地に対する権利を認められた
結果1 年貢を厳しく取り立てられるようになる
結果2 荘園が消滅した
<1585>大阪城を築城
場所 石山本願寺の跡地
<1585>関白となる
理由 清和源氏に連なる家系ではなく、征夷大将軍よりも高位の職だったため、天下統一・全国支配をスムーズに進められると考えた
※源氏も足利氏も清和源氏の一族だったため、清和源氏でないと征夷大将軍になりにくい、という風潮がありました。
<1586>太政大臣となる
理由 太政大臣は律令制度で定められた最高の官職であるため、 天下統一・全国支配をさらにスムーズに進められると考えた
<1587>バテレン追放令
内容 日本からキリスト教の宣教師を追い出す
理由 ポルトガル・スペインが日本を植民地化しようとしているという噂を豊臣秀吉が聞いたため
<1588>刀狩
内容 一揆を防ぐため、農民から武器を取り上げる
結果 武士と農民との違いがはっきりした〜兵農分離
<1590>小田原攻め
内容 北条氏を滅ぼし、全国を統一する
※小田原の北条氏と鎌倉時代の北条氏は関係がありません。
<1592>朱印船貿易の開始
内容 海外渡航許可証である朱印状を発行し、東南アジアと貿易をした
<1592>文禄の役
<1597>慶長の役 〜朝鮮出兵
内容 明を征服しようとするも、その協力を朝鮮が断ったので朝鮮に大軍を送った
結果1 二回とも失敗し、豊臣氏の権力down
結果2 陶磁器職人をさらって帰ってきたため、有田焼・伊万里焼が発展するきっかけになった
・知恵と工夫の人・豊臣秀吉 △
これも織田信長のときと同様に「表面」の知識の補強をしているという印象です。
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