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ミクロ経済学的中学校の選び方:合理的に見えない選択 Column

学生講師の小話

ミクロ経済学的中学校の選び方:合理的に見えない選択

2021.01.12

こんにちは、慶應義塾大学4年のH・Yです。

ここ2回にわたって、中学校の選び方についてミクロ経済学の視点を紹介してきました。ここまでは経済学が想定しうる個人の好みのうちいくつかを例示し、その後、経済学では個人がいつもそれらのような好みによると一番好ましいものを選んでいるように見えることを根拠に、個人の選択が合理的であるということを仮定し、様々なモデルを組み立てていることを説明しました。

過去記事:「ミクロ経済学的中学校の選び方:リスクを取りたい人、取りたくない人

過去記事:「ミクロ経済学的中学校の選び方:悲観的な人、楽観的な人、そして白黒つけたい人

しかし、今まで紹介したような好みの基準を使って、個人の選択が合理的であると仮定すると説明をできない事象は世の中にごまんとあります。その中にも人間の選択には一定のパターンが見られたため、経済学の方も人間のものの選び方に関するモデルを変化させていったのです。ここでは、特によく知られているものを以下で紹介してみたいと思います。

1. 現在得られるものを未来に得られるものより高く評価する。

さて今回は中学校ではなく、以下の2つの塾を想定してみましょう。

単純に得られるものだけから考えたらこの2つの塾から得られるものは全く同じであるため、この2つの塾は同じように好まれるはずです。しかし、実際はそうではないでしょう。ほとんどの人は塾1を選択するのではないでしょうか。というのも、実際に多くの人は時間がかかるということ自体もコストの一部として考えているからです。つまり、手に入れられるものはできるのであれば、今すぐ手に入れたいと思う。これは確かに多くの人に見られる傾向と言える気がします。

2. 負けこんでいるときはリスクが高い選択をしやすい。

さて、今度は以下のシチュエーションを考えてみましょう。日にちは2月3日です。あなたは、難関校コースで偏差値60代後半の学校に向けて勉強を続けてきたにも関わらず、ここまでの受験すべてで落ちていることが結果発表で知らされてしまいました。急いで2月4日に受験する学校に願書を提出しなくてはいけません。この時、以下の2校のうちどちらを受験するでしょうか。

両中学校を公平に評価する人から見たら、これらを受けることから得られる嬉しさの期待値が同じだとしても、前者に受ける人が多いことが研究者によって指摘されています。これはどのように解釈できるかというと、実際この状況に置かれた人にから見たら、塾にかけた時間とお金という費用を取り返すために、よりリスクを取ってでもその損失を取り返したいという願いがあり、偏差値60代後半の学校以外に行くことによる嬉しさが他の選択肢に比べてとても大きくなっていると考えられます。この例では、進学校コースを取ったのにも関わらず、偏差値50台中盤の学校に行くことは損失と同義であると捉えているのかもしれません。しかし、実際は中学校1を受験したことで、70%の確率でどこの学校にも受からないことになってしまい、より損が大きくなってしまうかもしれません。

3. 情報の提示のされ方で選択を変化させる。

また、以下の2つの塾を考えてみましょう。

どちらの方が好ましい塾だと言えるでしょうか。

よく見ると実は、どちらの塾も同じ内容になっていることに気が付くと思います。それなのに、どちらか1つ選んだ人がいるとしたら、情報の提示され方のみによって、物事に対する評価が変わってしまうということでしょう。これは明らかに合理的な選択ではありませんが、実際に人々の選択の中で頻繁にみられる現象ではないでしょうか。

おわりに

1.2で紹介したものは心情や時間が好みに影響を及ぼすことをモデルに組み込むことで、合理的な選択をしている考えることもできます。しかし、3で紹介したものは完全に同じ情報を提示されているのに、異なる選択をしてしまっているため、合理的な選択をしているとは言えないでしょう。

中学校を選ぶときに自分が合理的かどうかを気にされる方は少ないかもしれませんが、このような視点で自分の選択を見つめなおすと、自分の好みのパターンなど、新たな発見があるかもしれません。また、このような人間の行動の分析の仕方に興味のある方は是非ミクロ経済学の本を手に取ってみてください。

それでは。

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H.Y

この記事を書いたのは...

H.Y

パリ政治学院修士1年
ハンドボール、スカッシュ、尺八と
マイナーなものをせめがち。

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