この記事を書いたのは...
H.Y
パリ政治学院修士1年
ハンドボール、スカッシュ、尺八と
マイナーなものをせめがち。
個別指導・家庭教師の自律学習サカセル
サカセルコラム
共通テストで導入の記述問題、論述、海外ではどう教えている? Column
こんにちは、慶應義塾大学4年のH・Yです。
長いこと計画されてきた大学共通テストがついに来年の春に実施されようとしています。様々な内容がその実現の難しさから延期されていますが、その特徴としてよく取り上げられるのは、従来のセンター試験とは違い、記述式の問題中心であるということです。既存の知識の詰め込み教育から答えが不確実な現代における問題解決能力の向上を目指した教育へ舵を切りたい意図がある、とよく言われています。この方針がさらに推し進められたら、中学校受験でも記述式が増えてゆくことになるかもしれません。では、それに対してどのように対処すればよいのでしょうか?
そこで参考になるのはすでに記述式の問題を多く取り入れている国、例えばフランスでどのような教育がされているのかを参照することではないでしょうか。ということで、今回は自分がフランスの大学で受けた教育と友人から聞いた事情をもとにフランス式論述教育を紹介します。そして、最後に日本にいる我々がそこから何を学べるかを議論してゆきたいと思います。
まず、フランスにおいて日本での「センター試験」の役割を果たしているのが「バカロレア」と呼ばれる高校卒業時に受ける試験です。これは、受験するコースによって問題が異なるのですが、その中でも日本で一番話題になるのは哲学の試験でしょう。
例えば2019年には次のような問題がありました。
「時間から逃れることはできるか?」
これ一問です。これは大学の歴史の試験などでも似たような形式でした。もちろん事前に勉強をすることなく、この試験に解答することはできません。そもそも何から書きはじめたら良いのかもわからないのではないでしょうか。
フランスでは高校3年間の哲学の授業で、このような問題に解答できるように練習を行うそうです。というのも、フランスの論述では形式と構成がしっかり決まっていて、知識と同時にそれを学校で学ぶのです。場合によっては論述の構成をまるごと覚えて試験に臨みます。私が大学で教わったこともこれと重なっていました。まずは論述を以下の3つに分け、型を身につけるのです。
ここからはそれぞれについて細かく見てゆきます。
まず、序論で行うのは定義、問題提起、本論の概観です。
定義は厳密に行います。「時間から逃れることはできるか?」という例で言えば、「時間」とは何か?そして「逃れる」とは何か?といったことについて、今までに学んだ哲学者による定義などを引用しながら自分なりに定義するのです。
そして、次にそれらをもとに問題提起をします。バカロレアや論述問題はいつも問題文で問題提起されているわけではありません。例えば、私が受けた試験の中には「共産主義とファシズム」というテーマだけ与えられて、これについて論述しなさいと書かれていたこともありました。この場合、共産主義、ファシズム、そして時間軸や国について定義、限定したうえで、「共産主義とファシズムの広がりは共通の過程を辿ったか?」など新たに問題を提示する必要があります。
そして、最後に本論でどのような論述を行うかの簡単な説明を行います。もちろん、ここで全てのネタをばらしてはいけないため、必要に応じて言い換えたり、まとめたりしなければいけません。
本論のスタイルは人によって異なるようです。しかし、大抵の場合は、2つか3つのパートに分け、その中にそれぞれ2つか3つのサブパートを含めるような構成にします。このパートの分け方にも以下のような定番のものがあります。
下の2つは分かりやすいですが、一番上は馴染みがないかもしれません。問題提起が「時間から逃れることはできるか?」だとして、このパートの作り方に従うと、まず、「時間から逃れることはできる」という命題についての分析を行い、その後、次のパートで「時間からは逃れることが出来ない」という立場から分析を行うことになります。
これは、アメリカや日本の大学で習う論述の形式とフランスのそれを大きく分けるものだと思います。というのも、アメリカでは自分の主張が最初に提示され、その根拠を述べて説得力を高める構成になっていますが、このYes、Noの構成は、自分が支持しない立場についても論理的に分析を行い、提起された問題の両義性を明らかにすることを目的にしたものなのです。もちろん、自分の立場は存在します。そのため、自分とは違う立場の分析の中で、その論理的ほころびや矛盾を示すのです。
結論では、今までの分析をまとめ、序論で行った問題提起に関してついに自分の立場を明らかにします。そして、上手に論述を書く人は最後に問題に解答したことで新たに見えてくる問題の提起をして文章を締めます。
フランスの教育で教えられるこの形式をそのまま日本の論述試験の解答に応用しようとしても、すぐには難しいでしょう。今まで日本の教育がセンター試験などの大学入学試験にある程度対応した形になっていたように、今まで見てきたフランスにおける論述の形式を教える授業もバカロレアに対応したものです。しかし、当のバカロレアやフランスの大学の試験はと言えば、1教科3~4時間かけて試験が行われ、それぞれ何ページにも及ぶ文章を教授が採点しなければならないものです。今回のように試験の一部を論述形式にするだけでひと悶着もふた悶着もあり、方針の変更や延期を繰り返している日本で、そのような完全な論述形式による共通試験が行われるのは遠い先のことになるでしょう。
つまり、フランスの教育で習う形式が直接日本の試験で役に立つことはないかもしれません。しかし、この形式の中で培われる能力には普遍的なものが確実に含まれていて、以下のようなものが挙げられます。
これらはフランスで教えられている論述形式に当てはめるように自分で構成を何回も考えながら文章を書くうちに身についていく能力だと思います。そして、日本語の文章においても同様の能力はより必要とされていくでしょう。その中で、フランスにおけるものとは異なっていても自分なりに構成を決め、上のことを意識しながら文章を書く練習を積むことはよい訓練になるかもしれません。
いかがでしたでしょうか。日本で誤解されがちなのは、「論述形式の問題であったら、今までの様に詰め込みをしなくてもよい」ということだと思います。しかし、それは必ずしも正しいとは言えません。なぜなら、フランスにおける論述の形式で見たように、論述の解答では詰め込んだことを整理し、分析し、抽象化し、構成しなければならないため、そもそも知識が無ければ何も書けないからです。さらには、フランスでは、論述の形式そのものも何回も繰り返し練習して(詰め込んで)身につけられたものでした。そのため、大学の試験が変わっても詰め込むものが変わるだけなのかもしれません。
さらに、中学校入学試験の国語の記述式問題を見てみると、このような論述を行うために必要な能力をすべて同時にではなく、個別に問われたり、いくつかの組み合わせによって問われたりしているように思えます。つまり、中学校受験の国語においてはすでに良い論述をするための種まきはされているのではないでしょうか。今後、より長い論述形式の問題が出されたり、論述形式の問題が増えたら、小学生も上で提示した能力の総合力が問われる可能性もあります。
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H.Y
パリ政治学院修士1年
ハンドボール、スカッシュ、尺八と
マイナーなものをせめがち。