牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡で、幼少期から勉強一筋の運動音痴・・・
ないない。
近年の東大ブームもあり、東大生に対するそんなステレオタイプは薄れてきましたね。
東大生も意外と普通の若者だと身近に感じる機会も増えてきたのではないでしょうか。
ただ、それでも東大生は東大生。
勉強が出来る奴は「やっぱり何かが違う」と納得できる理由を、世間は求めている気がしています。
幸い僕の場合は、多くの東大生と話す機会に恵まれました。
幼少期の習慣や家庭環境、教育方針、習い事などの話を聞いていると、個々の東大生の事情は様々ですが、ある程度はカテゴライズすることが出来そうなんです。
そこで「習い事」に絞って、東大生の法則を考えてみることにします。
まず抑えておきたいのは、東大生の「3大習い事」です。
東大生達と話をすると当たり前のように出てくる習い事が3つ。
1つめは「水泳」
2つめは「ピアノ」
3つめは「公文式」
僕が提唱している『幼少期には「運動系」「音楽系」「勉強系」を組み合わせよう』を、まさに裏付ける結果です。
今回は1つめの「水泳」が何故、東大生を育てたのかを考えてみましょう。
まずはもちろん「体力がつく」という点が挙げられます。
ただ体力をつけるだけなら他のスポーツでも代用できます。
運動系なら野球やサッカーのようなチームスポーツ、空手や柔道、少林寺拳法などの格闘技、テニスや体操などの個人競技など、選択肢は非常に多いです。
ただその中でも特に「水泳」が未来の東大生を生むのです。
それは何故か。
結論から言ってしまうと「数字を追う、自分との戦いだから」です。
野球やサッカーのようなチームスポーツは、個々の技術はもちろん大切ですが、それ以上にチームの中での役割を果たすことに重きが置かれます。
自分勝手なスタンドプレーは残念ながら評価されません。
たしかに将来、組織の中で仕事をしていくにあたって、チームの和を重んじることは非常に重要です。
ただ受験は言ってしまえば究極の個人競技。
保護者や家庭教師は専属のコーチ、トレーナー、セコンドです。
水泳は純粋に個人の技術を伸ばしていけばよいという点で、受験勉強と通じる部分が多いのではないでしょうか。
では個人競技と言う点なら、格闘技やテニスなども有力な候補になりえるかという話です。
こちらは「最善の選択肢ではない」と言えそうです。
最大の違いは「相手がいるかいないか」です。
対人競技だと自分がいくら良いプレーをしても相手の技術が上回ると負けてしまい、逆に自分が小さなミスを繰り返しても相手次第では勝てるケースもあるでしょう。
自身の努力が結果に直結しないという曖昧さが、受験勉強と上手くマッチしないと言えるのではないでしょうか。
その点、水泳は自分との戦いです。
良い結果も悪い結果も全て自分次第という点が、のちの受験勉強と共通しますね。
結局のところ、水泳の
「タイムや級などの数字で結果を測定できる」
「自分との戦い」
「個人競技」
という特徴が、受験勉強の勝者である東大生の源流になっている、と考えられるのではないでしょうか。
もちろん「水泳に一生懸命取り組んだら東大生になれる!」という訳ではありません。
あくまでも「東大生は水泳に取り組んだ経験を持つものが多く、その経験を通して目標の立て方や結果の出し方を身につけた」というだけの話です。
思えば僕も、水泳は確かに習っていました。
当時はあまり意識していなかったけれども、級が上がることを楽しみに取り組めていた気がします。
さて、自分の子供にも水泳を習わせるか。
帰宅したら相談してみます。