◆各種データ
国語算数85点満点、理科社会70点満点、4科目合計310点
合格者最低点 202/310
合格者平均 50.1点
受験者平均 40.4点
参考:https://kaiseigakuen.jp/admission/exam/result/
◆出題形式
試験時間50分 85点満点
◆大問2題構成
大問1 論説文 3問(小問数3)
大問2 小説文 4問(小問数8)
◆問題の種類(2025年度)
・記述 約77%
・選択肢 0%
・抜き出し 0%
・知識 0%
・漢字 約23%
という得点の割合になっています。
まさかの抜き出し問題が出題された2024年度から一転して、漢字と行数指定の記述のみの出題となっています。
「傾向が1〜2年に一度、ガラリと変わる」のは相変わらずのようです。
2025年度は、小説文と随筆文の大問2問構成でした。
比較的多く見る形式です。
選択肢、言葉の知識などの問題は相変わらず一切なし。
受験者平均が50点台だった昨年度と比較して難しくなっていると言えそうです。
ここからは2025年度の開成中の出題を通して、どのような戦術で取り組めば良いのかについて書いていこうと思います。
○…合格には確実に取れてほしい問題
△…合格の勝負所・差がつく問題
×…落としても合否には大きく影響しない問題
大問1 小説文 古内一絵「百年の子」
【注意】
一般的な小説文と違い、心情記述の出題がありません。
論説文のような傍線部の説明記述が中心となっています。
問1 指示語と内容説明の記述 ○
傍線部ア「それが児童文学の仕事だ」とあるが、三津彦は「児童文学の仕事」についてどのようなことを重視しているかを答える問題です。
登場人物の考えを拾うために、「地の文」や「セリフ」に注目しましょう。
傍線部アの前に注目すると、
「だからこそ、俺たちは考えなければいけない。鋳型にはめられないよう、自分の頭でしつこく考え続けなければならない。それが児童文学の仕事だ〜」
傍線部アの「それ」の中身は、「鋳型にはめられないよう、【①自分の頭でしつこく考え続けること】」を指します。
「鋳型にはめられ」は比喩です。
鋳型という言葉が他で使われていないかにアンテナを張りながら「自分の頭でしつこく考え続けること」の正体をさらに前から探していきます。
「とにかく、人間の歴史は百万年、賢い人間と言われる種に進化してからも数十万年が経つっていうのに、子どもの人権が認められるようになってきたのは、わずか百年。その百年も、社会情勢によっては簡単に覆るのが現状だ。未熟も未熟。近代的子ども観については、我々自身がまだ赤子であることを認めざるを得ない」
しかし、人格は間違いなく子どもの中にも備わっているし、子ども時代を経ることなしに、大人になることはありえない。にもかかわらず、大人たちがそのときに拠っている社会情勢や権力に合わせて子どもを鋳型に当てはめるように育てれば、子どもはそもそも備わっている能力や個性を十全に発揮することができない。
「しかし、人格は……」の段落に注目すると、【②人格は子どもの中に備わっていること】
「大人たちがそのときに拠っている社会情勢や権力に合わせて(子どもを鋳型に当てはめるように)育てる」と、
「子どもはそもそも備わっている能力や個性を十全に発揮することができない」ことから、
【③そのときの社会情勢や権力に左右されずに、】【④もともと備わっている能力や個性を十分に発揮するように育てられるよう】
①〜④を組み合わせて、
【そのときの社会情勢や権力に左右されずに、子どもに備わっている人格を認めて、その能力や個性を発揮できるよう考え尽くすこと。】としました。
使用する箇所は4箇所ありますが、本文の固まった場所にあるので、丁寧に拾って答案におこしていきたいところです。
問2 内容説明の記述 △〜×
傍線部イ「二重に捨てられた気分になった」とあるが、「戦争で保護者を奪われて孤児になったこと」以外の意味について答える問題です。
傍線部イの前を見てみると、
「あのドラマが、戦後の子どもたちに大きな希望を与えたというのは事実だったろうよ。でも、それは保護者のもとで、毎日ラジオを聴けた子どもたちであって、俺たち本当の孤児は、そこには含まれない。あのドラマによって、“緑の丘の赤い屋根”の下に住めない俺は、二重に捨てられた気分になった」
保護者のもとで毎日ラジオを聴けた子どもたちは「緑の丘の赤い屋根」を聞いて希望を持てたかもしれないが、それを聴けない自分を含む本当の孤児たちは「二重に捨てられた気分になった」と言っています。
ひとつは問題の条件にある「戦争で保護者を奪われて孤児になったこと」ですが、もうひとつはここを見てもはっきりしません。
さらに前を見てみると、
「戦後、『鐘の鳴る丘』ってラジオドラマがずいぶん流行ったみたいだが、当時、地下道を這いずり回っていた本物の浮浪児だった俺は、そんなもの、一度も聞いたことがない。〜」
前提として「浮浪児」とは、「親や保護者がなく、一定の住居を持たずにさまよい暮らす子ども」のこと。ストリートチルドレンという別名もあります。
「見終わったとき、恥ずかしいほど涙が出たよ」
感動して泣いたのではない。
自分自身の現実とあまりにかけ離れすぎていて、情けなくて涙が出たのだと、三津彦は目を眇めた。
「そのときに思ったね。このドラマや映画で、世間は“浮浪児”の問題を片付けようとしてるんだと。戦災孤児には、“緑の丘の赤い屋根”なんていう御大層な施設がある。その思い込みだけで、この問題は解決だ。実にお手軽なもんだ」
「鐘の鳴る丘」のドラマや映画で描かれた世界は、【①自分の現在の状況とあまりにもかけ離れすぎていて】、情けなくて涙が出たと言っています。
そう言ったドラマや映画を用意し、「緑の丘の赤い屋根」という施設に行けば浮浪児も救われるとすれば、浮浪児問題は解決していると思いこみ、それどころか誰もその問題に目を向けなくても良い状況になってしまうということです。
浮浪児問題に目を向けないのは、「世間」です。戦争により亡くなってしまった「親」だけでなく、【②「鐘の鳴る丘」のドラマや映画に踊らされて自分たちに見向きもしない「世間」にも捨てられた気持ちになっている】のです。
①〜②をまとめて、
【浮浪児であった自分とは全く違う姿を描いた「鐘の鳴る丘」のドラマや映画に踊らされ、自分たちに目を向けない「世間」に見捨てられた気持ちになったこと。】としました。
「二重に捨てられた」という表現に注目できず、「ドラマに描かれた世界と、浮浪児である自分の現実の状況があまりにかけ離れすぎていて、情けなくて涙が出た」という箇所をまとめただけという解答が多そうです。
問3 指示語と内容説明の記述 ○
傍線部ウ「ああいう誠実さ」とはどういうことか答える問題です。
傍線部ウを含むセリフに注目すると、
「君嶋は、俺より少し上の世代だけど、ああいう誠実さは本気で見習いたいと思うよ」
とあるので、「君嶋織子の誠実さが感じられる内容」を傍線部ウの前から探します。
「〜『赤ずきんちゃん』のリライトで、狼に呑まれる赤ずきんの痛みを生々しく書いたのは、彼女だけなんだ」
「〜甘ったれた結末だけにしないところが、君嶋らしくて面白い。なんでもお手軽に済まそうとしないところが実にいい」
そう言われれば、赤ずきんちゃんが苦しむところが、彬も印象に残っていた。
「狼に呑まれる赤ずきんの痛みを生々しく書き、甘ったれた結末にしてお手軽にすまそうとしない」ことがわかります。
さらに前を見ると、
「その点、君嶋織子はすごいぜ。優しい文体だけれど、ぎょっとするようなことを淡々と書いてくる。思考停止からは程遠い」
〜児童書にしては残酷すぎるのではないかという批判がないわけではないが、君嶋がそういうリアリズムを徹底するのは、その実、子どもを信頼しているからだろうと、三津彦は語った。
「ぎょっとするようなこと」を書いて、【①児童書にしては残酷すぎるという批判をされても】【②リアリズムを徹底している】のは【③子どもを信頼しているから】だということがわかります。
「ぎょっとするようなこと」は抽象的すぎて伝わらないので、①〜③の内部の具体化された内容をまとめて、
【児童書にしては残酷すぎるという批判をされても、子どもを信頼して、リアリズムを徹底した作品を生み出し続けたこと。】としました。
まとめやすい箇所があるので、答案作成はしやすかったのではないかと思います。
大問2 随筆文 永井玲衣「世界の適切な保存」
問1 漢字 ○
1 規模 2 無機質 3 裏側 4 明示
全問正解をきちんと狙いたい問です。
「一画ずつていねいに」とあるので、一画一画繋げずに分けて、トメハネ・長短をきちんとアピールして書くようにしましょう。
問2 記述 △
傍線部ア「『伝わらない』ということは悲劇であり喜劇である。」とあるが、シンポジウムの話と検収センターの話はどのような点が喜劇なのかについて答える問題です。
喜劇というのは「人を笑わせることを中心とした作品」のことで、答えるべきは「シンポジウムの話で笑えるポイントはどこか?」になります。
●シンポジウムの話
話の範囲は、p11の「数年前、大学で〜」からp12の「〜わたしたちを待っている。」まで。
数年前、大学で国際交流を兼ねた小規模のシンポジウムがひらかれた。台湾、シンガポールから論者が集い、彼らの話をきくために日本からも数十人、狭い教室に集まった。
〜もちろん、日本語は話せない。だからこそ、日本語のふしぎな音のひびきをただ楽しんでいるようにも見えた。
日本語は読めるが話せない…などの部分的に理解している段階でなく、【①日本語が全くわからない人が複数いる】状態と言えそうです。
大学の教室は不必要に無機質で、蛍光灯が明るすぎるといつも思う。先生はその教室で、注意事項や趣旨を伝えつづける。
「あとですね、この中で英語じゃないとこまるよって方いますか?」
〜
「英語じゃないとこまるよ、って方!」
【②「英語じゃないとこまるよって方いますか」と(シンポジウムにおいての)注意事項や趣旨を説明し続けて】います。
先生が何かに気づいたように息をもらして、手を下げる。「いやそれは」と誰かの声がする。「日本語なので、伝わらないのでは」。
【③日本語で(説明し続けている)】のです。
①〜③をまとめて、
【日本語が全くわからない人たちがいる場で、「英語じゃないとこまるよって方いますか」と日本語で繰り返し問いかけた点。】としました。
●検収センターの話
話の範囲は、p12の「あるいは、〜」からp13の「〜ます、と言った。」まで。
シンポジウムのときと同じように本文から探していきます。
何もなくなった受付の机には、紙が貼ってあった。〜それは地図のようだった。
「ここが検収センターです」
【①検収センターの受付の机に、地図が貼られて】います。
簡単な大学の構内地図に、検収センターがある建物が描いてある。正門や北門との関係性も明示されており、どこから検収センターに入ることができるのか矢印が印刷されていた。矢印の先には吹き出しで「ここが検収センターです」と書かれている。
だがすでにここが検収センターなのだった。わたしはすでに辿りついている。探しているあいだ、地図はどこにもなかった。代わりにここにあったのだ。検収センターの受付の机に貼り付いていた。
【②建物に地図はどこにもなかった】【③目的地に「目的地までの地図」があった】ということです。
①〜③をまとめて、
【目的地まで道を示す案内は行く途中にはなく、目的地の受付の机に「目的地までの地図」が貼られていた点。】としました。
話としては理解できるが、過不足なく記述するのは難しい問だったと思います。
問3 記述 △
傍線部イ「魚は閉じるまぶたを持たず」とあるが、筆者は魚との対比によって、人間についてどのようなことを説明しているか答える問題です。
傍線部イは引用した短歌の下の句(五七五/七七)にあるので、これの観賞を行っているところに注目します。
傍線部イの後を見ると、
私たち人間が持つまぶたを、魚たちは持っていない。彼らはまぶたを閉じることはない。静かな目つきで、濁流の中を泳ぎまわっている。それに対しわたしたちは、簡単にまぶたを閉じることができてしまう。濁流の中で、きつく目を閉じて、誰のことも見ずに、口もひらかずに、押し黙ることができてしまう。それはわたしたち人間にゆるされた自由であり、不自由さでもある。
魚たちは見ている。互いを見ている。見ないことはできない。濁流から這い出ることもできない。彼らに心はあるのかわからない。心がないからこそ、いつまでも見つめ合うことができるのかもしれない。わたしたちは心があり、心を求め、閉じるまぶたを持ち、それゆえ閉ざしてしまうことができる。
赤字は人間、青字は魚として色分けしています。
魚
・まぶたを持っていない。まぶたを閉じることはない。
・静かな目つきで、濁流の中を泳ぎまわっている。
・魚たちは互いを見ていて、見ないことはできない。濁流から這い出ることもできない。
・魚に心はあるのかわからない。心がないからこそ、いつまでも見つめ合うことができるのかもしれない。
人間
・まぶたを持っていて、簡単にそれを閉じられる。
・濁流の中できつく目を閉じて、誰のことも見ずに、口もひらかずに、押し黙ることができてしまう。
・それはわたしたち人間にゆるされた自由であり、不自由さでもある。
・【①心があり、心を求め、】閉じるまぶたを持ち、それゆえ閉ざしてしまうことができる。
本文の表現を拾ったにも関わらず、イマイチ内容がピンと来ない場合、「比喩」が使われていると考えてください。
問2では伝えるべきことがきちんとした形で伝わっていない例が2つ並べられていました。
ここもヒントに、「濁流」「まぶたを閉じる」などの内容から【他者とのコミュニケーションの話をしている】と気付けたかどうかがポイントです。
「濁流」=【②自分にとって都合の悪い状況】
「まぶたを閉じる」=【③自分の意志で相手と関わることをやめる】となります。
以上のポイントをまとめて、
【心があり、他人とのコミュニケーションを求め、都合の悪い状況では自分の意志で相手と関わることをやめるということ。】としました。
詩で使用するような読み取り方が必要なので、少々難しいと思います。
※筑駒対策を行っていた子は有利に働いたかもしれません。
問4 指示語の記述 ○〜△
傍線部ウ「とんでもない」とあるが、筆者はなぜ「とんでもない」と考えているかについて答える問題です。
傍線部ウの前後を見ると、
伝えるということは、わたしがあなたのところまで歩いていくことである。いや、あなたの中にまで入り込んで、じたばたすることである。それが手紙やデジタルメッセージであったとしても、わたしから切り離された何かに情報を載せるのではなく、わたしをわたしから削り取って、あなたの中にまで入り込もうとする。
だから伝えることは、本質的にあなたの領域を侵すことである。それはとんでもない試みだ。
どんなに注意を払ったとしても、あなたの魂に腕を突っ込んで、わたしの欠片を届けようとすることになる。あなたの魂は、わたしの熱い腕でびりびりに破けて傷つくだろう。
それの指すのは【①伝えること(=本質的に相手の心の領域を侵すこと)】
【伝えること】の中身のうち、「とんでもない(=思いもかけない)」ものを選ぶと、
「どんなに注意を払ったとしても、相手の魂に(わたしの熱い)腕を突っ込む」「あなたの魂は、わたしの熱い腕でびりびりに破けて傷つく」=【②どんなに注意を払っても、相手の心を傷つける】
①〜②をまとめて、
【伝えることは本質的に相手の心の領域を侵すことであり、どんなに注意を払っても相手の心を傷つけるものであるから。】としました。
1行半というスペースだったこともあり、あっさりした解答にしています。
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