サカセルコラム

筑波大学附属駒場中の国語分析(2025年) Column

過去問分析

筑波大学附属駒場中の国語分析(2025年)

2025.04.10

◆各種データ
4科目400点+調査書100点の合計500点満点
最高点 421/500点
最低点 326/500点
※平均点などの発表はありません

◆出題形式
試験時間40分
100点満点

◆大問4題構成
大問1 論説文 7問(小問数10)
大問2 随筆文 4問
大問3 詩   2問

◆問題の種類(2025年度)
・記述 約78%
・選択肢 約15%
・抜き出し 0%
・漢字 約7%
という割合になっています。

2025年度は「フレーズで漢字を書かせる」出題はなし。
また小説文でなく随筆文が出題されました。
また2023年度から引き続きになりますが、選択肢が出題されました。

選択肢の出題も定着した印象はありますが、やはり記述の「練度」で勝負が決まります。

ここからは2025年度の筑波大附属駒場中の出題を通して、どのような戦術で取り組んでいけばよいかを検討していきたいと思います。

今回使用する指標

○…合格には確実に取れてほしい問題
△…合格の勝負所・差がつく問題
×…落としても合否には大きく影響しない問題

大問1 論説文 湯浅誠「どんとこい、貧困!」

問1 漢字 ○

ア 過度 イ 調 ウ 当面 エ 底
筑駒受験者なら全問正解を狙いたいところです。

問2(1)比較の記述 △〜○

傍線部①「逆の意味でよく使われるのが『ぬるま湯』」とあるが、「ハングリー精神」と「ぬるま湯」の違いを答える問題です。

傍線部の前より、

〜飢えていると、食うためだったらなんでもやる、という必死さが出てくる。必死になるから、いろんな困難があってもくじけない。だから、成功するためには「ハングリー精神」が必要だとよく言われる。

ハングリー精神についてはここから読み取れます。
【ハングリー精神は、困難にくじけず必死に取り組むという成功するために必要な姿勢の例である】としました。

傍線部の後より、

ぬるま湯につかっていると、いい気分でいつまでも入っていられるから、なかなか出てこない。気持ちのいい場所でぬくぬくしているだけで、チャレンジ精神が生まれないから、ついついだらけて成功しない。

ぬるま湯についてはここから読み取れます。
「ぬるま湯につかっている」ではなく「ぬるま湯」が設問で指定されているので、「環境を示す例」を結論に持っていきたいところ。
【ぬるま湯は、必死に取り組む姿勢の生まれない、居心地の良い環境を指す例である】としました。

2つを組み合わせて、
【ハングリー精神は、困難にくじけず成功に向けて必死に取り組むという姿勢の例だが、ぬるま湯は必死に取り組む姿勢の生まれない居心地の良い環境を指す例である。】としました。

本文のツギハギだと「ぬるま湯」が具体的すぎてしまうため、抽象度を揃えて書く必要があります。

問2(2)比較の記述 ○

傍線部②「『ハングリー精神』と反対になるが、『ハラが減っては戦はできぬ』という言葉もある」とあるが、「ハングリー精神」と「ハラが減っては戦はできぬ」の違いを答える問題です。
1つの対比を問うた後に、別の視点で対比を問うという珍しい傾向の問題です。

傍線部の後より、

〜食うもん食わないと、がんばろうと思ってもがんばれない。勉強しようと思っても、朝からなにも食べてなかったら力が入らない、頭も回らない。「ハングリー精神」は必要だが、それは「真剣になって取り組むことが必要」ということを言ってるんで、実際問題としては「ハラが減っては戦はできぬ」。野球選手だって相撲取りだって、いいプレイをするためには、食うだろう?「ハングリー精神」が必要だからって、何日も食べずに試合にのぞんで勝てると思う?
だから、食べるものはちゃんと食べておかないといけない。それは「甘え」ではない。「ハングリー精神」を発揮するための「条件」だ。過度に甘やかすことは、がんばる気持ちをそぐことになるかもしれない。でも、必要な条件は調えておかなかれば、がんばりようがない。あるラインがあって、そこまでを与えるのは必要、それ以上を与えるのは甘やかし、ということになる。

先ほどの(1)より、ハングリー精神は「取り組む姿勢」です。
本文に「真剣になって取り組むこと」とあるので、こちらを利用します。

それに対して、「ハラが減っては戦はできぬ」は、「ハングリー精神を発揮するための『条件』」です。
これは本文に示されているのでわかりやすいと思います。

【ハングリー精神は、真剣に取り組むという姿勢を指すが、ハラが減っては戦はできぬは、その姿勢を発揮するための条件を調える必要があることを指す。】としました。

(1)と違って、本文を利用して書けるので答案は作りやすそうです。

問3 指示語の中身を答える記述 △〜○

傍線部③「それもまた怪しくなってくる」とあるが、「それ」が指す内容について答える問題です。
傍線部に指示語があるので、傍線部の前を見ると、

同じように「歩けない」という人たちの中にも、じつはがんばってリハビリすれば歩けるようになる人たちがいるはずだ。簡単に「杖や車椅子を提供しましょう」と言ってしまうと、歩けない現状に「甘んじて」リハビリをがんばらなくなるからかえってよくない、と話を進めていくと、それもまた怪しくなってくる。

「同じように」と段落の最初にあるので、さらに前を見る必要があります。

「歩けない」に「甘え」はない。それは客観的な医者の診断が出るからだ。でも「仕事がみつからない」には「甘え」がある。なぜなら、客観的には仕事はあるはずだからだ。

客観的な医者の診断が出る「歩けない」ことに「甘え」はないはずだが、リハビリをきちんと頑張れば歩けるようになる人もいるはずで、簡単に杖や車椅子を与えると現状に甘んじてリハビリを頑張らなくなるから良くない。こういった話の進め方をするとそれがまた怪しくなってくる、という話になっています。

「客観的」「甘えがあるかないか」などから、「それ」の正体は【客観的な基準によって甘えがあるかないかを分けること】としました。

見る箇所は前ですが、抽象化が必要な記述問題になっています。

問4 選択肢 ○

空欄Aに入る文を入れる問題です。
空欄Aの前を見ると、

「本当にあるけないんですか?」「本当に仕事がみつからないんですか?」と。このとき、そう聞く人は「 A 」と聞いている。
あなたの考える「必要」のラインは高すぎて、私には「甘え」の領域に入っているように見えますがね。客観的なラインはもっと低くて、高すぎるラインを設定するあなたは、じつはぜいたくで、そこに「甘え」があるんじゃないですか?「ハングリー精神」が足りないんじゃないですか?ということだ。

「 A 」と聞いている、の直後の段落で接続表現が特に用意されていないということは、関連している段落であるということです。
直後の段落の内容を拾っているのは【ウ あなたのラインは高すぎやしませんか?】となります。

確実に正解したい問題です。

問5(1)言い換えの記述 ○

傍線部④「それが『自由』というものらしい。そして自由は、めんどくさいけど、すばらしいものらしい」とあるが、ここでの「『自由』」とはどういうものかについて答える問題です。
傍線部④の前を見ると、

あなたの考える「必要」のラインは高すぎて、私には「甘え」の領域に入っているように見えますがね。〜そこに「甘え」があるんじゃないですか?「ハングリー精神」が足りないんじゃないですか?ということだ。
この「本当に?」がいきすぎると、底なしの“がんばり地獄”が待っている。
めんどくさい。誰かがかっちりと「ここまで!ここまでは必要。ここから先は甘え」と決めてくれたほうがよほどすっきりする。人によってばらばらだから混乱する。〜
だけど、残念ながら誰も決めてくれない。誰かが決めようとしても、かならず反対する意見が出てきて、結局、かっちりとは決まらない。それが「自由」というものらしい。

「あなたの考える必要のライン」→【その考えが必要なものか甘えと言えるかの条件は】
「人によってばらばら」→【人に託されている】
「残念ながら誰も決めてくれない」「結局、かっちりとは決まらない」→【基準が決められるものではない】とそれぞれ抽象化して、
【その考えが必要なものか甘えと言えるかの条件は、人に託されており、基準が決められるものではないというもの。】としました。

問5(2)理由の記述 △〜×

傍線部④「それが『自由』というものらしい。そして自由は、めんどくさいけど、すばらしいものらしい」とあるが、ここで「らしい」という表現を使っているのはなぜかについて答える問題です。

(1)の「自由」がきちんと拾えないと難しい問題だと思います。

自由とは「その考えが必要なものか甘えと言えるかの条件は、人に託されており、基準が決められるものではないというもの」でした。
「だ」ではなく「らしい」という言い方をしているのは、【断定を避けた表現をしたい】から。
「人に託されている」からこそ、【筆者自身も読者に断定表現で自分の考えを押し付けたくない】と考えています。

【断定を避けた表現を使い、筆者自身が考える「自由」という考えを読者に押し付けたくなかったから。】としました。

大問2 随筆文 矢萩多聞、つた「美しいってなんだろう?」

問1 選択肢 ○

傍線部①「気のおけない」の意味を答える問題です。
「気を使わなくて良い」の意味を知らない筑駒受験生はいないと思います。

答えは【ア 相手に遠慮や気配りをする必要がない】です。

問2 言い換えの記述 △

傍線部②「こたつの上で皮をむかれ放っておかれたみかんのように」とはどういうことかについて答える問題です。

傍線部②の前を見ると、

この先生が得意とする科目、書道の時間は地獄以外のなにものでもなかった。
ちいさいときから絵がすきで、紙も筆も墨も気のおけない友だちだったのに、半紙を広げ、墨をすり、筆をすずりに沈めると、ぼくの気持ちも沈んでいく。
〜書いたものがすこしでも間違っていると、上から朱色の筆で直される。からだはこわばるばかり。
〜ぶかっこうな姿をさらす自分の字がはずかしかった。

ぶかっこうな自分の字が学校の先生に注意され、間違いを直されることでからだがこわばるほどの恐怖を覚えています。
また、学校側が用意する「手本の字」から遠い、バランスの良くない字を書いていることを恥ずかしいと思っていることもわかります。

傍線部②の後を見ると、

一年もしないうちに、ぼくの字は、こたつの上で皮をむかれ放っておかれたみかんのように、ちいさくちいさくしぼんでいき、ノートにはたよりないえんぴつあとが、かろうじて文字のかたちして、自信なさげに並ぶようになった。

まず、傍線部②の内容は「一年もしないうちに、ぼくの字がだんだん小さく小さくしぼんでいった」とわかります。
「こたつの上で皮をむかれ放っておかれたみかんのように」は、【水分が抜け、表面から乾燥が進み、最終的にカラカラの状態でしぼんでいる状態】を表します。

ただ「字が小さくなったこと」を問うているなら簡単な問題なのですが、傍線部②を「先生に萎縮するぼくをたとえたもの」として見るなら難易度が上がります。

正直、解答用紙の欄次第かなと感じますが、こちらでは比喩を戻す形で答案作成します。

「水分が抜け、表面から乾燥が進み、最終的にカラカラの状態でしぼんでいる状態」
水分が抜けて乾燥が進む=【自分の好きという感情や自信が失われる状態】
カラカラの状態でしぼんでいる=【萎縮して小さな字しか書けなくなっている】
こうなってしまったきっかけは、【自分のきらいな先生の度重なる指導】です。

3つを組み合わせて、
【もともと字を書くのが苦手だった上、自分のきらいな先生による度重なる指導で自信を失い、(萎縮して)小さな字しか書けなくなっていること。】としました。

問3 言い換えの記述 ○〜△

傍線部③「からだが冷えていく」とはどういうことかについて答える問題です。
傍線部③の前を見ると、

だれがつかってもおなじくきれいに印字されるパソコンやタイプライターの文字とはちがい、手書きの文字からは、ひとりひとりの人間の性格や熱が感じられる。うまいも下手もない。英語も土地のことばも、自由でのびのびしている。
インドから東京に帰ってくると、空港に降り立った直後から、手書きの文字がほとんど目にはいらなくなって、いつもからだが冷えていくようなおもいがした。

手書きの文字=【人間の活力が感じられ、自由でのびのびしているという印象】
東京=【手書きの文字がほとんど見られない】
からだが冷えていく=【感情の通っていない無機質なところ→寂しい】

から、

【手書きの文字がほとんど見られない東京では、人間の活力や自由さを感じられず、感情の通っていない無機質なところに寂しさを感じること。】としました。

問4 言い換えの記述 ○

傍線部④「甲賀さんにとってパソコンは道具のひとつ」とはどういうことかについて答える問題です。
傍線部④の後を見ると、

できあがった文字たちはまるで手作業でつくったかのよう、おおらかにつかいこなしていた。

「パソコンは道具のひとつ」ということは、パソコンで印字される文字に左右されないということ。
パソコンで作った文字であっても手作業でつくったかのように感じる……ということで、「パソコンで作った文字であっても、人間の活力が感じられる」ということです。

「人間の活力が感じられる」だけだと、解答が貧弱なものになってしまうので、筑駒で有効な「対比」を入れて解答を作ることにします。

【甲賀さんの作った装丁の文字は、パソコンを使用していたものであったとしても、人間の活力や感情を感じさせてくれるものであるということ。】としました。

問3の問題に正解しているかどうかで、取り組みやすさが変わる問と言えそうです。

大問3「小さな嘘」東田直樹

問1 言い換えの記述 ○

「誰かが怒った つまらない話/それを聞いて 誰かが泣いた」とありますが、ここでのつまらない話とはどのような話かについて書く問題です。

指定箇所の前を見ると、

誰かがついた 小さな嘘
それを笑った人がいた
誰かが笑った ささいなうわさ
それを怒った人がいた

つまらない話の正体は、「誰かがついた小さな嘘の話」で、「それを笑う人もいるようなささいなうわさ話」ということがわかります。

指定箇所の後を見ると、

誰かが怒った つまらない話
それを聞いて 誰かが泣いた

ここも合わせて考えると、
「誰かがついた小さな嘘の話」で、「それを笑う人もいるようなささいなうわさ話」のはずが、その「つまらない話」を聞いて「泣いた人もいる」ということがわかります。
「泣いた人」はその「嘘が織り交ぜられたささいな話」の当事者で、嘘であったとしてもうわさが立てられたことに関して悲しみを覚えたと判断できそうです。

ここを参考に、
【誰かが嘘を織り交ぜてしたささいなうわさ話だが、当事者はそれに対して悲しみを覚えているような話。】としました。

嘘をつかれてしまったことなのか、デマを流されてしまったことなのか、はっきりとした言及がないので、ボヤっとした言い回しにしています。

問2 記述 △

指定箇所「それは 大きな嘘」とありますが、詩の題名をふまえるとどのような意味を持つのか、それが指す内容も含めて答える問題です。
まずは「それ」の指す内容から考えて指定箇所の前を見ると、

何が正義で
何が悪
人が人をおとしめる
それが 世の中
それは 大きな嘘

とあります。
大きな嘘にある「それ」はその前から探すわけですが、
「世の中」に関わり、「何が正義か悪かわからず、人が人をおとしめる」ことがわかります。

問1をヒントにすると、
「誰かが嘘を織り交ぜてしたささいなうわさ話だが、当事者はそれに対して悲しみを覚えているような話。」
これが「世の中に広まると、何が正義で何が悪かわからなくなり、大きな嘘になる」という話になります。

以上より、
【誰かが嘘を織り交ぜたうわさ話が世の中に広まると、何が善悪かもわからなくなり、当事者を傷つける規模の大きな話になるということ。】としました。

問1ができないと問2の手出しが難しいのは例年通り。
なんとなく話はわかっていても、答案にするのは難しく感じたかもしれません。

【まとめ】

他の問題を利用する、もしくは他の問題がきちんと答えられる読みの鋭さがないと解けない問題があるのは相変わらず。
選択肢が解けても、他の設問を解くときの決定的なヒントにならないのは首都圏最難関校だからでしょうか……。
設問にきちんと答えるだけで解答欄がスカスカになってしまう場合は、対比の表現をうまく利用して答案作成するようにしましょう。


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増田 雄介

この記事を書いたのは...

増田 雄介

圧倒的な指導力、学校別の専門性の高さ、そして面倒見の良さを持つ自律学習サカセルの国語・社会の看板講師。

その驚異的な指導力を武器に、大手集団塾の開成中コースの国語担当や有名個別指導塾のリピート率1位の凄腕講師として活躍。
成績が本当に伸びる実戦的な指導に目を付けた自律学習サカセルからのスカウトを受け、満を持して文系科目の講師として指導開始。

個別指導の業界では指導力No. 1の呼び声も高く、逆転、順当のどちらの合格にも強く、生徒のレベルに関係なく指導できる幅広さを持っている。

生徒だけでなく、自分の子供の成長を見守るのが楽しみな一児の父でもある。
趣味はぽっちゃりの自分でも着られるファッションの構築。

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