御三家の一角、武蔵中学校。
自由・自主性を重んじ、生徒自身に責任と判断に委ねているため「校則なし」という校風です。
ここを受験する子は第一志望に据える子が多いです。
全科目で記述式の解答を必要とし、各科目で特色のある出題がされる学校です。
有名なのは算数の「数え上げの問題」や、理科の「おみやげ問題」でしょうか。
武蔵の国語と言えば、「文学的文章1題構成」「文字数制限の一切ない記述」がその特徴でしたが、
現在は説明的文章の出題、抜き出し問題、語句の説明記述などの「目新しい試み」も取り入れられています。
◆各種データ
合格者平均点 67.7/100
受験者平均点 61.5/100
国語想定合格ライン ?/100
◆出題形式
試験時間50分 100点満点
◆大問1題構成
説明的文章 約7問(漢字を1問とカウント)
◆今年度の問題の種類
・記述 約90%
・選択肢 約0%
・抜き出し 約0%
・漢字 約10%
という割合になっています。
ほぼほぼ例年通りの出題となっています。
ただ、本文が問題用紙5枚分ほどあり、少々多めです。
ここからは2022年度の武蔵中の出題を通して、どのような戦術で取り組んでいけばよいかを検討していきたいと思います。
今回使用する指標
○…合格には確実に取れてほしい問題
△…合格の勝負所・差がつく問題
×…落としても合否には大きく影響しない問題
「記憶する体」伊藤亜紗
問1 言い換えの記述 ◯〜△
「彼女はもともとあまり見ていなかった」とはどういうことか答える問題です。
同じ6段落の中に、
先述の通り、玲那さんには、もともと見えにくいという症状がありました。
「もともと見えにくい」についての詳しい話は2段落にあります。
「先述の通り」が良いヒントになっていますね。
「生まれつき視野が狭い、夜盲、色弱、といった症状があり」
とあります。
それゆえ視覚に対する依存度が低く、周囲を認知する手段として、視覚の占める割合が相対的に低かったと考えられます。
代わりに、触覚や聴覚や嗅覚を使って認知する習慣があった。だから視覚がなくなったとしても、情報量が大きく減ったと感じることはなかったのです。
「もともと見えにくい」という内容を受けた接続表現が続いているので、内容を拾います。
7段落
全体が(具体例)になっているので、記述の要素として入れる必要はありません。
ただ、ここが(具体例のカタマリ)となっているので、6段落の内容と8段落の内容は関連がある可能性が高いです。
8段落
つまり、家の中とは、良い意味で『思い込み』が通用する空間です。
思い込みで動けるならば、細かく観察しようとするスイッチを切ることができる。
そもそも細かく観察する必要のない空間だったから、玲那さんは、自分の見え方の変化に気づくことがなかったのです。
外に出たとたんに気づいたのは、観察スイッチが入ったためだと考えられます。
それぞれを組み合わせて、
家の中は思い込みで動ける場所で、視覚を使って細かく観察しなくて良い場所であった上、玲那さんは生まれつき目に様々な症状が出ていたことで、視覚以外の感覚を使って周囲を認知する習慣があった。だから、周囲を認知する手段として、視覚の占める割合も依存度も相対的に低かったということ。
問2 言い換えの記述 △〜×
「よく失明をあらわす比喩として、『ろうそくの火が消えるように』が使われますが、あれは必ずしも正しくないのかもしれません」
の『ろうそくの火が消えるように』という比喩がどんな意味で使われているか」を言い換える問題です。
傍線部と同じ9段落の中に、
ちなみに意外な感じがするかもしれませんが、「失明したことに気づかなかった」というケースは玲那さんだけの特殊なものではないようです。実際、私もこれまでに複数人、そのような人に出会ったことがあります。急な事故でもないかぎり、「気づいたら失明していた」という場合が意外と多い。
とあります。
筆者が肯定的に捉えているものを赤、筆者が否定的に捉えているものを青としています。
赤 ⇔ 青 と見ています。
・失明していたことに気づかない
・気づいたら失明していた
【時間がある程度経過している中で気付いたら失明】
・急な事故
・ろうそくの火が消えるように
【時間経過が無い状態で失明】→【突然失明】
と考えました。
【突然】に、少し言葉を補足して、
それまで見えていたものがある時を境に、突然見えなくなるという意味。
問3 記述 ◯〜△
筆者はそのとき何に「気を取られていた」のか答える問題です。
11段落
それは、ずっと働き続けている彼女の手、なめらかに動くその手でした。
彼女は話しながら、ずっと手元の紙にメモを取っていたのです。もちろん視覚を使わずに。
傍線部と同じ段落を見ると、正体はすぐにわかります。
「ヒトコト」で答えるなら【玲那さんの手】です。
【玲那さんの手】がどんな手か、何をしているのか、どんな動きをしているのか…などを押さえていきます。
12段落 全て具体例なのでカット
13段落
書いている間、玲那さんが指で筆跡を確認することはありませんでした。
傍目には、目の見える人がメモを取っているのと何ひとつ変わらない手の動き。
14段落
〜ハテナと思っていたのですが、あまりに自然にメモを取り始めたので、思わず質問するタイミングを失っていたのです。
晴眼者が自然に行うような、話しながらメモを取り続ける玲那さんの手のなめらかな動き。
問4 言い換えの記述 △
「ところが、一〇年間真空パックされた玲那さんの『書く』能力は、このような変容に対して全く逆行する例です」とありますが、どのようなところが「逆行」しているのかを答える問題です。
「逆行する例です」が述語(述部)なので、主語(主部)をチェックすると、「玲那さんの『書く』能力は」がそれにあたります。
「玲那さんの『書く』能力」について、「このような変容」について、拾っていきます。
傍線部の前の26段落
見えていた一〇年前までの習慣を惰性的に反復する手すさびとしての「書く」ではなくて、今まさに現在形として機能している「書く」。私がまず驚いたのはそこでした。全盲であるという生理的な体の条件とパラレル(*注より、「平行」)に、記憶として持っている目の見える体が働いている。〜
27段落
確かに体には可塑性(*注より、「自在に変化することのできる性質」)があり、障害を得た前後で体のOS(*注より、「コンピューターを動かすための土台となる基本システム」)そのものが更新されるような変容が起こります。
障害を受けた部分だけではなく、それをカバーするように全身の働き方が変わるのです。
28段落
もちろん、玲那さんの体にも可塑性があり、失明によって変容した機能もあるはずです。視覚が使えなくなった分、反響音を利用して空間を把握する力は、格段にアップしているでしょう。
→「けれども」がこの次の段落にあるので、28段落の内容は使用しません。
29段落
けれども少なくとも「書く」という行為については、失明という要因によって変化を被ることなく、むしろそのまま保守されている。むしろ、OS(*注より、「コンピューターを動かすための土台となる基本システム」)が書き変わっているのに、従来のアプリケーション(=書く)がそのまま動き続けていることに驚きを禁じえません。
→OSは「視覚を喪失して、全身の働き方が変わった状態」、従来のアプリケーションは「視覚を喪失する前の書く(能力)」の比喩です。
30段落
〜視覚の喪失という身体的条件の変化によって劣化することのない、現在形の「書く」。それはまるで一〇年という長さをショートカットして、ふたつの時間が重なったかのような、不思議な感覚でした。
これらを使用して、
人間の体は、障害を得たら、それを補うように全身の働き方が変わるという性質がある。だが、玲那さんは視覚を失っても、それ以前と同じように記憶としてある目の見える体が動くことで、「書く」能力が劣化せず、現在も実行できているところ。
問5 記述 △
「思考というと、頭の中で行う精神活動のように思われがちです。しかし必ずしもそうではありません」とありますが、筆者は「思考」がどのように行われると考えているかについて答える問題です。
「思考」がどのように行われるかについて、傍線部のある39段落の周辺から拾っていきます。
36段落
〜「書く」は「考える」を拡張する手段になるのです。
38段落
いずれにせよ重要なのは、私たちが何らかの物を操作し、その結果を視覚的にフィードバックすることによって、思考を容易にするということです。体と物と視覚のあいだにも、思考が存在するのです。
39段落
思考というと、頭の中で行う精神活動のように思われがちです。しかし必ずしもそうではありません。
→38段落にある「頭の中で行う精神活動以外の内容」を拾います。
40段落 全て具体例なのでカット
41段落
こうした操作をなぜ行うのかといえば、とりもなおさず、「考えるため」です。
42段落
〜私たちは「見ながら考える」、つまり視覚的なフィードバックを組み込むことで、自分の脳だけでは到底できないような複雑な思考を、簡単にこなすことができるのです。
43段落
このように目の見える人たちは、物と体を視覚でつなぎながら、運動の最中にリアルタイムの調整を行ったり、思考を容易にしたりしています。
これらを使用して、
人間は何らかの物を操作し、その結果を視覚的にフィードバックすることで、自分の脳だけでは到底できない複雑な手順や操作をこなすことができる。
としました。
「思考」が「どのように行われるか」と聞かれているので、「複雑な手順や操作」と置き換えています。
問6 言い換えの記述 △
「玲那さんの『書く』は、環境の中で、思考と関わりながら行われている」とはどういうことかについて答える問題です。
各要素を本文の箇所を参考に言い換えていきます。
44段落
一方、目の見えない人の場合、こうした視覚的なフィードバックは、運動レベルにせよ、意味レベルにせよ、ふつうは用いることができません。視覚を通して入ってくる情報がないために、本来的に、空間と体が切り離されがちなのです。
45段落
ガイドなしで一〇〇メートルまっすぐ走るのは不可能に近い業ですし、道に迷ったりすると、周囲の様子が分からず白紙の上に立っているような感覚になるという人もいます。もちろん、聴覚や触覚を使って空間の様子を把握することはできます。しかし、リアルタイムのフィードバックとなるとやはり視覚は優位です。
→一般的な目の見えない人の話で玲那さんの話ではないかもしれませんが、「環境」の言い換えを拾っています。
46段落
ところが、玲那さんの「書く」は、運動と意味の両面において、視覚的なフィードバックの経路に組み込まれています。それまでに書いた文字にリーチできるという点で視覚的な運動制御がそこにはありますし、書くことで頭の中が整理されるという点で、意味的な制御にも関わっています。
47段落
もしこれが〜発動するはずです。ところが、玲那さんの『書く』は、環境の中で、思考と関わりながら行われている。これが、玲那さんの「書く」が現在形であるゆえんです。
48段落
もっとも、視覚的なフィードバックといっても、玲那さんの場合は文字通りの視覚を用いているわけではありません。ですから、正確には「イメージ的なフィードバック」とでも言うべきものかもしれません。玲那さんは、あくまで、頭の中にメモのイメージを思い浮かべ、そのイメージを手がかりに別の文字や線を書き加えたり、あるいは考えを進めたりしているのです。
49段落
もっとも、目の見える人だって、こうしたイメージ的なフィードバックを行います。手元に紙がなければ、頭の中に筆算のプロセスやそろばんの珠をイメージして、それを手がかりに計算をするでしょう。
50段落
とはいえ、イメージのベースにあるのは視覚です。視覚的な経験がもとにあるから、筆算のイメージやメモのイメージが作れるのです。この意味で、イメージ的なフィードバックも、視覚的なフィードバックの一部であると考えることができます。
これらを使用して、
玲那さんの「書く」という動作は、自分の体と周囲の空間の中で、目が見えていた頃の視覚的な経験から作られたイメージをもとに、思考を整理したり、進めたりしながら行われていること。
としました。
「書く」を抽象化した「動作」という言葉を付け加えています。
大問2 漢字 〇
全て正解しましょう。
◆まとめ
言い換えの問題がとても多い年度であったと思います。
出典の文章もそこまで簡単なものではないですが、具体と抽象、接続語、各内容の置き換えを駆使しながら読み進めていきたいですね。
武蔵といえば文学的文章でしたが、2021年、2022年と2年連続で説明的文章が出題されています。
この傾向が続くのか…2023年の出題が気になるところです。
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