この記事を書いたのは...
高木 大歩
個別指導・家庭教師の自律学習サカセル
サカセルコラム
慶應義塾中等部で過ごした感想 Column
はじめまして。まずは自己紹介から失礼します。
僕は2月に迫る国家試験に震える現在25歳の医学部6年生です。
あれ、25歳なのにまだ学生なの??と思ったそこの方、僕も同意見です。(笑)
冗談はこのくらいにして、私の中学受験時代まで話を遡ります。
中学受験の時に大切なことの1つに志望校を決めるということがあります。志望校を決めるにあたって授業カリキュラムや部活などの学校生活、通学時間、成績などいろいろなポイントがあると思います。
ちなみに僕は、もうこの先二度と受験はしたくないという単純な考えから、慶應を志望校にしました。結果無事に合格し慶應義塾中等部(以下中等部と呼ぶ)に進学しました。その後はエスカレーター方式で慶應義塾高等学校(以下塾高と呼ぶ)、慶應義塾大学経済学部に進みました。もともと医学部に進みたいと考えてはいましたが、高校時代は勉強そっちのけで過ごしていたので内部進学は到底無理な成績でした。それでも医学部に行くために、二度としないと誓った受験勉強をしようと河合塾で浪人生活を開始。2年かかって医学部に入学しました。ここまでが僕の人生をギュッとまとめたお話です。
さてここからが今回の本題です。
せっかく中等部で3年間過ごしたので、その率直な感想を述べていこうと思います。受験を考えている方がいらっしゃいましたら是非参考にしてみてください。
中等部にはいくつかの特徴があり、ここでは①一貫校のため基本的に大学に進学出来る、②とにかく自由、③人と人との繋がりが強いということを取り上げたいと思います。
まず①、慶應義塾は幼稚舎と呼ばれる小学校から大学まである一貫校です。そのため小学校、中学校、高校のいずれかの時点で慶應に入学してしまえば、“基本的には“大学に進学することができます。
え、“基本的には“ってどういうことだと気になった方もいるかと思います。
ずばり、留年であったり放校してしまうこともあり大学まで進むことができなくなることがあるということです。中学校や高校で留年や放校なんてあるの?となりますが、実はあるんです。現に僕の友達で何人かは慶應から去ってしまった人がいました。(彼らは中学校ではなく高校でいなくなってしまいました。)
慶應義塾が一貫校であることはとても大きなメリットではありますが、入ったことに満足して怠け過ぎてしまうと、せっかく入った慶應から去らなければいけなくなることもあるということは念頭に置いて試験勉強くらいは最低限頑張りましょう。
次に②、何をするにもとにかく自由だったなと思います。
中等部のモットーに自ら考え、自ら判断し、自ら行動して、その結果に責任を持てる自立した人物になってほしいというものがあります。また学校の校則として、なにかを禁ずる“べからず”式の事項は最小限しかありませんでした。要するに自分で考えて行動しろよってことですね!また制服も基準服と呼ばれる決まったものはありましたが、普段はそれを着る必要はなく各自ある程度の気品は保ちつつ色々な服を着ていました。授業も選択授業があり、自分の興味のある分野の授業をうけられるというシステムがありました。僕は数学の歴史の授業をとった気がします。
さらに試験内容も自由というか面白かったです。印象深いのは3年生の時の英語のテストで「人民の人民による人民のための政治」という名言を生んだリンカーンの演説(Gettysburg Address)を丸暗記するという一大イベントがありました。これは、一定の勉強期間が与えられ暗記したら、校長室に行き英語の先生(当時の副校長)に向かって暗唱するというものです。この緊張感が味わえるのは中等部ならではだったなと思います。
また、①とも関連してきますが、高校受験や大学受験を意識している中学校とは違い、受験をすることがないので、勉強はほどほどに、趣味や部活などに思いっきり時間を割くことができるということです。ちなみに僕は勉強も部活もそこそこに、ボーリングとダーツの虜となっていました。
最後に③人と人とのつながりが強いことについてです。これは中等部に限った話ではなく慶應全体の話になりますが、例えば中等部の時のクラスはかなり仲が良く今でもみんなで集まったり、最近ではオンライン飲み会も開催されるほどです。また何か困りごとがあれば相談に乗ってくれる友達もいます。みんなそれぞれいろいろな分野に進んでおり、非常に頼りになる人ばっかです。
今僕は慶應ではない他の学校の医学部に通っていますが、慶應出身の先生方も多くいらっしゃって、そういう先生方との話のきっかけにもなっていますし、病院実習ではよく気にかけてもらったりして快適な実習を送ることができました。
このように慶應義塾という大きなコミュニティに属するということで、多くの人と繋がれたことはかけがえのない財産であると感じました。
かなり長くなりましたがここまで読んでもらえてありがとうございます。
次は今回とは違ってゆるい感じで、塾高のことについて書こうと思います。
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高木 大歩