【生きていくうえで必要な力】
1.研究者に求める資質
三宅:研究者に求める資質、研究者のどういうところが評価されて成長していくのかという話だけど、その前段階として中高で普通の勉強をすることが必要だと思う。
開沼:その通りで、結局、いま残っている学習内容とか、学校の制度というのは、細かくはダメなところもあるけれども、大枠は、社会で役立つ知識を最も効率的に身に付けられるようにできているんですよ。研究者に何が求められるかというと、基本的には他にも役立つ頭の使い方ができるかということに尽きる。外資コンサルに行った自分のゼミ生が言っていたのは、研修で読んでこいと指定されたビジネス書を見て、大学院での頭の使い方とほぼ同じで、今まで研究してきたことの延長線上にあるから、何も新しいことはないと思ったということでした。ビジネスやるにしても公務員になるにしても研究をするにしても、普遍的な頭の使い方はある。それを大学は用意している。細かい話は端折りますが、大学が急速に発達して今の形になったことについては、産業革命の時に、既存の仕事がなくなっていった状況に通ずるものがあります。例えば蒸気機関車ができたら馬車は減ったから馬を扱える知識・経験が不必要になった。その時に、意識されたのは、ある知識が不要になっても、新しい知識を自ら生み出す力だった。だから、大学では研究者にならない学生にまで、研究をさせるんです。卒業論文を書いたり実験してデータをまとめたりするのはまさに知識生産の作業なので。必要なのは、どんな変化が起こってもそこで根本的に考えることを練習する場です。突き詰めるとどんな分野でもやることは同じで、一言で言うなら「誰も答えを出したことのない問題に答えを出す力」だと思うんです。
そして、中学受験で身につけられる力の良し悪しというのは、たとえ受験の結果だけを見ると失敗に終わったという事例でも、そこで普遍的な頭の使い方、つまり大量の情報を処理した中で本質をつかむ力や、パターンをまずは詰め込んだ中で自分の応用力を出していく力、場当たり的でありつつも自分の頭を使って最後の一頑張りをやりきる力を中学受験で身につけられれば、その後も伸びますし反対にそれができないと難しいと思います。
三宅:大量の情報を処理するというのはそうだよね。中学受験だけでなく大学受験でもそうだし、今後研究者や社会人としてやっていくにあたっても必要な部分だと思う。
ただ、最近の中学受験の流行として他には「科目を減らす」というのもあるんだ。4科目受験が主流だけど、算数単科受験や算国2科目、算国英などもある。大学受験に関しても多様化していて、数学がなくても行ける学校もたくさんある。もう少し前だとAO入試で論文だけというのもあるし。でもそれは大量の情報を処理するという点でも専門性という点でも自分は反対かな。
開沼:我々世代の受験よりも今の受験生の学ぶ量は圧倒的に増えているという話はよく聞きます。それを全部やりこなせる人と、それにはついていけないから何かに絞るという人とで、どちらが良い悪いではないんですが、子どもの時からそのトレーニングをしているかというところによっていて、大学入試で科目が少ない受験方式をはじめから選ばざるを得ないという人が増えています。大学側もそういう人にも門戸を広げないと潰れてしまうという状況になし崩し的になってきている。大学側は数学や英語の基本ができていないなど何かしらが欠けてしまっている学生をどう伸ばすかという方向で学生に優しくなってきています。
今は親身な授業や少人数制のゼミに力を入れるという方針を大学側も盛んに言うようになっています。だからある面で僕は「大学の高校化・高校の大学化」と言っているけれども、大学側が高校の進路指導・生活指導みたいなことをやるようになっていて、一方で高校側が大学のような授業やゼミなどをやって伸びる生徒をひたすら伸ばそうとしている。自分たちの世代と比べてどのように変化しているのかいうことを親も認識して、戦略的にその時々の選択をしていくことが重要なのかなと思います。
2.ゼネラリストとスペシャリストについて
三宅:自分は研究者はスペシャリストだと思っているが、それだけでなくゼネラリストであることが前提になっているのかなと思っている。
開沼:ゼネラリストであるべきという風潮はますます強くなってきています。例えば、大学の教員のやるべきことは大きく言えば3つあって、まず教育面で言えば大学の授業をすること。2つ目は研究で成果を出すこと。3つ目は大学の運営業務で、これは公務員や大企業の組織人的な役割をします。これら3つのキャリアを同時に走らせていく感じですね。どれか一つだけ得意な人もいて、学生の面倒見がいいけれども研究は20年やっていないみたいな人もいるし、広報が上手いからどんどん企画を出していくというところで特化している人もいます。
今の親世代のイメージだと、子どもが多く大学の進学率も上がっていったという時代に大学ができていたので、黙っていても客が来たわけです。だから大学の教員は研究をやっていれば、勝手に入試の受験者が増えて収入源が増えていたので大学運営の方も一部だけやっておけばいいという時代でした。教育も研究も同じで、やらなくても地位が揺るがなかった。でも今は教育と研究が常に評価されて競争で良い悪いというのが判断されて、さらに大学自体が潰れるようになってきているので大学運営もできるようになることが求められています。でもこれは大学業界だけの話ではなく、日本の企業でも行政でもあらゆる仕事で同じ状態になってきています。人口が減っている中で自分の専門性や職能、外部との連携をしていける能力が求められてきているので、自分の専門ばかりでは上手くいかない。ビジネスマンとして将来生きていく場合も、やはり教養をつけて何か別の世界観や視点を常に持っておかないと生き残れないという感覚は大学の中でもあるし、他の業界でも同じようなことが同時進行で起こっているのかなと思うところです。
三宅:専門性や教養の話だけど、中学受験って文系も理系もないんだよね。ほとんどどの学校でも算国の配点と理社の配点は一緒で偏らないからそれはそれでいいかもね。
開沼:それは本当にそうだね。先ほど話したカレッジ・オブ・デザインもそうで、理系でも文系でもないけど、自分の中でどこかに得意な分野のポジションを取るということをそれぞれが戦略的に考えてしないといけない。そして自分の得意なポジションに足を置くスペシャリストでありつつもゼネラリストの視点を持つという感覚を作らないといけない。だから中学受験でも公文式的な計算だけで済むわけもなく、やはり読解・イメージをして全体の計画を具体的に立てていかないと算数もできないし、国語でもどこに論理的に見当を付けていくのかという面では理系的な側面も必要になります。特に難関中学の国語の入試問題を見ても大学受験と見分けがつかないくらいになっている。
三宅:そうだね、現代文とかそう思う。
開沼:だから中学受験が意味ないということはないと間違いなく思います。
ちなみに中学受験で捨てているものがあるんじゃないかという話があるけど、例えば野球のように細かい技術が必要なスポーツでは小学生時代からすでに頭角を現し始めるわけです。中学受験がそういうスポーツと全く同じというわけではないけれども、小学生時代から中学受験を頑張ればそこで身につけた知識が役に立って後々楽になるし、進学先の学校の教育の中で留学に行く機会に恵まれて、また、いい友人の中で揉まれる。多くの親が思っているのは、おそらく受験をしなかった選択よりもこのような貴重な機会に恵まれる可能性が高いだろうということです。結局はいつ頑張るかという話だと思います。そして「いつ頑張るか」というのはすごく大事な話で、中国人留学生と話していると、「中国では人口が多すぎて高校までの選択で大学や大学院に行けないということが明確に決まってしまう」という残酷な話をよく聞く。ドイツとかでも同じような話がある一方で、日本では力をためられるときにためておいて、集中したいときに集中する。だから中学受験で頑張っておいて、その後に周りが受験勉強を頑張っているときに、自分のやりたいことに力を注ぐということができる。でもそこで「周りがやっているから」という理由でなし崩しに頑張り続けてしまうと、中途半端に終わってしまうことがあるので注意したい。
3.言われたとおりにやる力の重要性
開沼:以前『ケーキの切れない非行少年たち』という本が流行ったんですが、多くの人が普通の文章を理解できていない、単に「ケーキをこういう風に切ります」とあったときに、具体的に言うとどういうことかというのを間違えることを実証したものです。こういうのが読める人じゃないとこれから先が難しい。
柴田:言われている通りのことができない人は意外と多いんですよね。例えば適性検査型対策の授業をするときに、ヌメロンというゲームをやらせるんですが、新しくルールが設定されてそれに従ってやっていくという力は大事だと思っています。レゴでも家具の組み立てでも本質は同じです。これは論理的思考というか「言われたとおりにやる力」ですが、これも非常に重要だと思っています。こういう力がプログラムの組み立てなどにつながってくる。でもそういう教育はあまり広がっていなんじゃないかと感じています。色々な説明書をもらってその通りに組み立てていくという練習はすごく大事ですね。公立中高一貫校の適性検査型のテストでは、その場で解法を与えられてそれに従って解くという問題が多いので、そういう力を育てるという意味でかなりいい影響を与えていると思います。
開沼:本当にそうですね。論理的思考や課題解決・探求的な授業などの主体的な教育と文科省は言っているけど、言われたとおりのことだけやるということがどれだけ難しいかということですね。東大生を見ているとそれができる人が多いです。例えば国語で「~とはどういうことか説明せよ」という設問があります。「主語がこうで曖昧な部分は足し、抽象的な部分は具体的に言い換える」ということを淡々とやっていくだけという、それだけのことなんですが、それがどれだけできないかという話です。仕事もそうですし、受験でも「受験がしたいなら具体的に何をやるべきか」、「受験をした先のことを見据えた時に、今受験勉強以外に何を取捨選択するのか」というのは、まさに「~とはどういうことか説明せよ」なんですよね。親も子もそういう力を身につけられるかが大事です。
柴田:言われたとおりのことをやるということで、性格で言うと素直さが大事になってきますよね。
開沼:そうですね。余計なこだわりや思い込み、疑いがある人が世の中には多すぎるんですよ。
柴田:もちろん反骨精神は大事ですが、まずは素直さからですよね。だから論理的思考というのは突き詰めてくとシンプルなんですよね。その構造にいつ気付けるかというのが大事ですね。
【おわりに】
中学受験には様々な問題が含まれており、悩むことも多いです。よって、先を見通す力は必要不可欠と言えます。今回は社会学の観点から中学受験が子どもや社会に与える影響、外国人の動きなどより多角的に考える貴重な対談となりました。お越しいただいた開沼先生に心より感謝いたします。そして、この記事が中学受験で悩む方々の助けになれば幸いです。
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