【教育業界について】
1.グローバル化とデジタル化
開沼:今の時代を考える上でグローバル化とデジタル化は非常に重要で、教育面、今回は中学受験で考えても外国人のご家庭が塾に通わせていることもあります。また、中学・高校の教育も、GIGAスクール構想(https://www.mext.go.jp/a_menu/other/index_00001.htm)のように、親の世代のときからは想像もできないような変わり方をしています。例えば、私は先ほど東大駒場キャンパスで授業をしてきました。駒場で授業をしはじめて3年間、一度もチョークを持ったことがなく、ZOOMで資料共有をして学生に議論をさせる形をとっています。何か知識のインプットが必要であれば事前に自分で動画を撮るなどして学生に共有し、教室ではそれについての感想をシェアするという進め方をしています。グローバル化やデジタル化は教える側も教わる側も、小学校から大学院まで逃れられないし、すごい勢いで進化している。
三宅:グローバル化・デジタル化という話だけど、今の中学受験の流行りがそれなんだよね。渋渋や広尾学園、三田国際その他追随する学校の共通点としては、男女別学、特に女子校だったものを共学化して、売りは「国際・ICT教育」というところだね。まさにその「グローバル化・デジタル化」を発信している学校に人気が集まりやすく、保護者の求めているニーズも時代に即していっているんじゃないかと思う。逆に良妻賢母を育てるような学校は流行らない。
開沼:なるほど。自分は中学受験を経験していないものの、今後の日本の教育においてその経験は明確に意味があるという立場なんだけど、一方で慶應SFCとかが1990年代くらいからやってきたようなグローバル化・デジタル化を中学・高校でいきなりやりだすべきかというとそうではない。東大でもそれ以外の大学でも、もう10年以上学生と接してきました。中高生向けの教育プログラムにも複数関わっています。そこでどういう子が頭角を表すかを見ていても、やはり基本的な「読み・書き・そろばん(数学)」のようなものができない状態で、いくらプレゼンや議論、パソコン、ちょっとしたプログラミング、データの分析などができるといったところで、表面的なスキルだけでは太刀打ちできないということをいろいろな側面から感じています。なので、そのような方針で生徒集めが上手くいっている新興の学校を否定するわけではないが、今後どうなっていくんだろうとは思います。
あと、そこで学校が親にアピールするのが総合型選抜や推薦入試の拡大の話。つまり、ペーパーテストじゃない入試の枠が拡がっているから親世代とは違いますよ、プレゼンやディスカッションやらせましょうということを売りにする。例えば東大も今は後期試験がなくなって推薦入試になっている。さらにもう1個新たにできる予定なのが、「カレッジ・オブ・デザイン」というもので、これは修士号まで5年間かつ英語で単位をとれる状態にすることで、海外から少人数ながらも学生を集めようというものです。この「デザイン」というのはデータの分析やプレゼンなどを通じて社会を変えていくという意味での「デザイン」です。これもまた単にプログラミングできるとか統計知っているというようなレベルではなく、未来の世界を構想できるだけの幅広い視野があるかというレベルのことが求められている。小手先ではないグローバル化・デジタル化に資する力をつけられるかは見極める必要がありますね。
2.外国人留学生の増加と受験
開沼:外国人の動きは確実に変わってきています。うちの大学院は半分以上が留学生で、学部から入ってきている人も相当増えている。留学生向けの入試もあるが、向こうの高校を出てから1年間、浪人生みたいに予備校で日本の入試に対応し、一般入試で入学してくる。そこで重要なのは親御さん目線で言うとお金のかけ方。例えばうちの大学の留学生に経済状況を聞いてみると、10人いたら8人はバイトせず親から仕送りをもらっています。仕送り額は月20万円が普通で、40万円がいても驚かない。中国では日本以上に学位が重要だけど、日本と違って誰でもオープンに有名大学を受けられるわけではない。いろんな前提条件が設定されていて入れないことがあるから日本の有名大を目指してくる。そして「仕送りが20万円なんてすごいね」と言うと、「いえいえ、金持ちは欧米へ行きます。」と言うんです。英語を使えたほうがその後のキャリアが広がりますからね。中国では競争が激しすぎるから海外の大学に人が流れていく。なので、そういう人たちにも日本の大学の枠はとられていきます。もちろんそれは競争原理なので悪いことではないです。
柴田:そういった人たちがなぜそこまでできるのかというのは、子ども時代の学習に原点があるのかなと思うのですが、中国で何か特殊なことをやっていたりするのでしょうか。
開沼:特殊なことはしていないようですが、中国では危機感がすごくあります。中国の若者の失業率が20%を超えていますからね。中国では頭数が多い中でデジタルトランスフォーメーションが進んでいき、人員がいらなくなっている。PayPayのようなQR決済にしても向こうで先に動いていたわけで、若い人も採用しなくなっていく。構造的に限界があるわけですね。だからハングリーではあると思いますね。
3.出身校
三宅:いろいろな研究者を見ていて思うけど、出身校のレベルって関係ないよね。
開沼:ないね。
柴田:出身校の話だと、男子校・女子校であることについて何かメリットはあると思いますか?
開沼:僕自身は地方公立出身なのでうらやましいと思うのは、特に有名校だと色々と関心が伸びる余地があるということですね。例えば僕は福島の原発事故のことを研究していて、福島に灘、筑駒、その他いくつかの中高一貫トップ校が毎年来ています。福島には実は普遍的な価値があるから来るとその2校は言うんです。地域の過疎化、メディアの報道の歪み、医学、エンジニア、国際政治などですね。つまり、災害の問題とか原発の問題という「特殊な問題」の奥底にある「普遍的な問題」を見ている。特殊性の中に普遍性を見出す。この思考回路を持つことが将来を切り開くことを知っている。そして、これはすごく抽象的な考え方をする素地とそれについてコミュニケーションをとってくれる仲間がいないと成立しない。やはり筑駒と灘がわざわざ選んで福島に毎年来ていて、先生方も臆せずに来るというのはすごく象徴的で、中学受験で論理的思考・批判的思考の基礎固めが早めに終わっているからそれをする時間もある。だからある意味大学で鍛えられる力なんだけれども、目の前の極めて具体的な問題の中にその奥にある普遍性を見ることができる学校がいい学校だと思います。
大学にも中学受験優等生はもちろんいっぱい入ってきていて、やはりできる学生は子どものころから鍛えられているんだなと感じます。例えば僕の授業にずっと出ている小石川中高の出身者の学生は、学部のときから、抽象的な研究ではなく被災地の街づくりの研究をやっていた。自分の中に特に接点はなくても、そこにある問題や面白さを発見できる力というのは、有名校出身だと小学生のころから身についているんだろうなと感じます。
男子校・女子校に限った話ではないけど、偏差値だけでは測れない個性は色々あって、周りを見渡すと「あの人は桜蔭出身ぽいよね」というのは明らかにある一方で、せっかく入ったけど自分に合わずに辞めてしまう人もいる。偏差値だけで考えずに個性に合うか、個性を伸ばせるかということも柔軟に考えて学校で心地よく過ごすということも重要な要素だと思います。
柴田:学部選びとかもそうですよね。偏差値だけで選んだ結果自分に合わなくて辞めてしまう。そうならないよう、生徒には将来学部選びの時は自分がやりたいことをまずは基準にしたほうがいいと普段から言っていますね。
4.論理的思考力の重要性と入試形式
柴田:小石川は都立の適性検査による入試なので、一般的な私立中学の入試と大きく異なり、知識よりも論理的思考力を重点的に問われます。先ほどの小石川出身の人の話を聞いていても、子どものころから論理的思考力を極めてきたからそのような具体的な問題の解決ができるんだなと感じますね。
開沼:そう思いますね。わかりやすい特徴で言うとレポートは1000字で良いと言っているのに6000字くらい書いてくるわけです。今はみんなあたかも文章が書けるという世界観になっていますよね。たしかに老若男女問わず、SNSで写真を入れて行間広くして見やすく書けば、なんか単語の並びで意味ある風の文章にはなるようにできている。でも、よく読むと穴だらけです。論理的な文章なんてそうそう書けるもんではないんです。やはり論理的な文章を書くために論理的思考をし、さらにそのために本質をつかむ。例えば結論から先に言えるかということで、頭の中に思い浮かんだことをダラダラ書く人と、まずポイントから書き出せる人とで、どちらも文章ではあるけど本質は全く違う。小石川の生徒が全員そうかは分からないけど、自分が見ていた子はとにかく本質をつかんで自分の経験や事例を組み合わせつつ、論理的に文章を構成するということができていました。この力があるかないかで、いくら文章生成AIが出てきても最後の本質をつかんで論理的に文章を書くというのはできないんですよね。ダラダラ書いた文章を整えてそれっぽく見せるのはできるけれども、そこでも出てこない発想というのは最後人間に残るもの。だから大量の情報を処理して大量の文章を書くというトレーニングをするのが重要になるし、その経験や力が大学受験やその後の人生では求められます。
難関大学も、教科学習の能力が高い生徒とは別に、そのトレーニングができている生徒を大量に確保しようと入試制度を変革してきています。具体的には、これまでAO入試などとも呼ばれてきた総合型選抜の話ですね。早稲田大学や東北大学では総合型選抜で入学した学生の方がその後の成績や就職が良いというデータがあります。
柴田:そうなんですか!?初めて知りました。総合型選抜では具体的にどういった試験を行うんですか?
開沼:例えば理学部に行きたいとなったときに、なぜ物理をやりたいかという問いに、ただ「教科書にこう書いてあったから」と答えるのではなく、「明確な問題意識を持っているから力学を学びたい」ということを小論文で書いてプレゼンをします。もちろん科目の筆記試験もあるけれども、難関大学の入試のような枝葉末節を問うものよりは、根幹を押さえつつオリジナリティや新規性を出せるかということが問われています。これに関して地方の公立のトップ進学校の事態が深刻になっていて、例えばMARCH以上の大学では総合型選抜で入学の枠が半分埋まっているのが現状で、一般入試は残りの半分だけなので、一般入試と総合型選抜の両方に対応できるようにならないといけない状況になっている。地方公立では一般入試の合格実績がどんどん下がるので、補習でひたすらドリルをやるだけになる。そうすると自分の頭で考えて何か現場に向き合うという経験ができなくなるから、総合型選抜には対応できなくなる。負の循環ですよね。私立とかなら柔軟にできるから5教科も早めに進めて、余裕のある時間で応用的なことを考えることができる。先ほどの筑駒や灘の話もそうで、頭のいい子が集まっているから大学入試に強いというのもあるけれども、勉強の余剰の部分で今の大学が求める力、要するにドリルを解くだけではなくその先で何を考えているのかという問いに答えられるようになっているんですね。
今、早稲田大学や東北大学に追随して、筑波大学では入試形式をすべて総合型選抜にするという検討がされています。あくまで検討ではありますが、親の世代では信じられないことですね。
柴田:中学受験でも将来小論文を課されたりするようになるんですかね。
開沼:総合型選抜で勝てるというのはポスター作りでもディスカッションでも、そこまでの基礎が相当できている状態に上乗せしてはじめて成立するんですよね。私はスタサプを観るのが趣味で、小4の社会とか見ていると「どこどこの川はラムサール条約で~」みたいに言っているわけです。大人でも知らない人もいるけど、そういう知識が入っている状態だからこそ、例えばSDGsについての議論でも上手くできる。知識がないと「ごみを減らそう」という抽象的なワード以上には何も広がらない。ごみを減らすということはエネルギーの問題にもつながっていて、それは学問だと工学部で、それについてラムサール条約があって…というように、抽象的な思考をするにも極めて具体的なことの知識の束が入っている必要がある。なので、中学受験での詰め込みはすごく重要だと思います。
柴田:実際、一般はダメだし総合型選抜のほうが楽そうだからという理由で、本質をつかまずに選ぶ人も多いんじゃないかと思うんですけど、やはり本質をつかむ力は重要ですよね。
開沼:結果的に有名校に入っても思春期や得意不得意などで思うようにいかないこともありますが、そういうときに総合型選抜の道もあるという余地を残すという意味でも、中学受験は頑張ったほうがいいと思います。
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