先日、東京大学大学院の准教授を務めている、社会学者の開沼博先生をお招きして、社会学の観点から中学受験をどう考えるかについて、非常に有意義な対談をさせていただきました。
前編は「開沼先生の紹介」と「親が持つべき意識」についてです。
【開沼博先生の紹介】
三宅:まず開沼さんの紹介ですね。
開沼:僕と三宅先生は大学の同級生で、今でも定期的に飲みに行く仲です。僕は東大の文学部を卒業した後、落合陽一やチームラボの出身の大学院で社会学を学んでいました。また、上野千鶴子という有名な社会学者のゼミにも行っていました。今は東日本大震災や現代社会論、流行文化やサブカルチャーも含めて研究しています。
教育の問題も現代社会を考えるうえで非常に激動の時代にあります。特に首都圏での中学受験は競争が激しいですし、これからの人材を育てていく上では避けては通れない重要なテーマだと考えています。
(開沼先生の研究室はこちら)
三宅:社会学者って何者なのかみんなよくわからないよね。
開沼:社会学者は新聞記者のように問題が起こっているところに行って取材することも多いです。統計やデータを見ながらその問題の分析をするので、コンサル・シンクタンクに近いと想像してもらえるといいかなと思います。
三宅:記者と似ているということは話を聞くだけでなく、それにもう一歩考えを整理して発信していくような部分もあるよね。どの研究分野が対象というよりも、そのボーダーレスな部分とかも含めて面白い職種だよね。
【親が持つべき意識】
1.幼少期に子どもに与えるべきもの
三宅:幼少期に親が子どもに与えるべきものについてどう考えているか聞きたい。期間については受験勉強が始まる前の小学3年生までの低学年と、受験勉強が始まる4~6年生の高学年に分けるといいかなとは思う。
開沼:社会学で「文化資本」という言葉があるのですが、これはお金などの経済的な資本とは別に見えない資本があるんじゃないかという仮説です。古典的なものだとピアノと英語を習わせている家の子どもはその後の学歴や収入が高いという、まあ言われたらそりゃそうだろという話なんだけど。
三宅:そこに通わせるための経済力が元々あるんだからね。
開沼:経済力もあり、教養を付けないといけないという感覚も親にある。だから結果として文化資本が経済資本を作り、経済資本が文化資本を作る。ここが回りだすとどちらもない人間が勝てなくなってしまうというのが、文化資本という概念の怖いところであり残酷なところなんですね。中学受験もおそらく間違いなく文化資本と密接に結びついている。親の教養や意識の高さ、知見、「今ここの競争で勝たせないと、乗り遅れたら絶対後から入れてくれないバスが出発してしまうのではないか」というような焦りの中で受験に臨んでいるわけで、文化資本的な話ではその直感は多分正しいんですよね。そしてその文化資本の与え方について言えば、やはりただ「塾に入れる・ピアノや語学をやらせる」だけでは足りず、「体験格差」という言葉があるように、それに加えて何を経験させられるかが重要になります。例えば私の講義に出ている東大生で、子どもの時から海外に何度も行っている生徒がいます。海外に行けば、uberタクシーがたくさん走っていて、英語さえ分かっていればスマホで行き先を見せると送り届けてもらえたという経験をしている。その生徒は国土交通省の白書を300ページ読んでグループで議論するという授業で、「いつまでも規制でがんじがらめになった日本よりも、とんでもないスピードで経済成長するだろう」という具体的な自分の体験や教養に基づいた意見を出していました。やはりそこで白書だけを読んで漠然と抽象的にしか理解できない人とは大きく差がつきます。
このような経験をさせてあげることが重要です。これは受験勉強だけしていては身につかないことでもある。中学受験と両立するくらいの覚悟がないのであればその後の戦いには負けてしまう。厳しい言い方だけれども「中学受験までの人」となってしまうのが現実だと思います。勉強だけでなく他のこともやるという意識を親が持てるなら、複数のことをこなしながら効率性を高めていくという方針の方がいいのかなと思います。低学年はもちろん、高学年になったら尚更それが必要かな。
2.幼少期に何をやらせるべき?
柴田:具体的に幼少期に何をやらせるべきかという話ですが、例えば立体問題があるじゃないですか。これが得意な子に話を聞いてみると、レゴやマイクラをやっていたと言うんですね。実際自分も得意なんですが、レゴや積み木はずっとやっていました。だから生徒には「将来子どもができたらレゴをやらせるといいよ」と話しています。
開沼:そういう経験があると強いですよね。子ども向けの科学の雑誌やこどもちゃれんじなど色々ありますが、あらゆる側面で充実していてすごく役立ちます。あとは土曜の夜7時からやっている『博士ちゃん』という、サンドウィッチマンと芦田愛菜の番組があるんですが、お城マニアや戦国武将マニアなどの中学生や高校生が出てきます。勉強の延長で面白いものを突き詰める体験をさせてあげるべきだということは言えますね。
柴田:それがたとえゲームだとしても、ゲームはまだ忌避されがちですが、幼少期で時間があるならやらせたほうがいいと思います。
開沼:研究上は「シリアスゲーム」という言い方をしますけど、信長の野望でも桃鉄でもやればいい。やりすぎないようにコントロールは必要です。何なら親が一緒にやってあげてもいい。やはり熱中できるものを探して、大人が「そんな細かいところまで知ってるの!?」とびっくりするくらいまでなれると、受験が終わった後も受験で終わらないその先でも伸びる力が身につきますね。
柴田:ゲームだったらできるという子が多いですし、ゲームもどんどん発達していますよね。クイズノックというYouTubeチャンネルが出しているゲームの中に素因数分解のゲームがあるんですが、これがすごい良いんですよ。自分は生徒にやらせているんですが、その子たちは素因数分解が一瞬でできるレベルになりました。素因数分解するには割り算が必要で、割り算が速くなると掛け算も速くなるという良いサイクルができました。昔なら紙にやらないといけなかったのでまず問題を用意しないといけなかったのが、ゲームなら自動で問題を生成してくれますし片手間にできるので、非常にいい影響を与えていると思います。この前とか自分の生徒が「この前Suicaの残高が1001円になった!1001=7×11×13だよね!」と言ってきました笑
ICTコンテンツはよく話題になりますけど、ゲームが与える影響はすごく大きいなと感じます。
開沼:時間が管理できるならどんどんやらせたほうがいいと思いますね。「ジャマイカ」という、振ると数字がランダムに並ぶおもちゃがあって、四則演算を使って最終的にその式が成り立つようにするという遊びができます。知人の子どもが家族や友達とゲーム感覚でやっていたそうですが、そういうのは大事ですよね。
柴田:教育現場でマイクラは取り入れられていますけど、まだまだゲームが本格的に取り入れられてはいるわけではないですよね。具体的にどんなゲームがいいかというのは議論の余地がありますが。
開沼:桃鉄はエデュケーション版が出ていますよ。エンタメ的な要素は排除して学校でも使えるようにしています。
柴田:そうなんですね!知らなかったです。
開沼:桃鉄は親世代で流行っていたゲームですから、受け入れられやすいんじゃないかと思います。
3.受験勉強を始めるまでに何をやらせるべき?
開沼:本格的に受験対策に入るのは4年生とか3年生からなんですか?
柴田:基本的に小4からで、早いと小3からですね。SAPIXだと小4の最初、学年で言うと小3の3月あたりですが、そこで等差数列やっていたりして、早いなと感じますね。実際、そこでよくできていた子が名門校に行くというのは多いかなと思いますね。
開沼:中学受験を始めるまでにやっておくべきこととして、どういうことをやるべきかというノウハウは確立されているんですか?例えば予習シリーズを先取りしてやっておけばいい、みたいに。
柴田:受験内容の先取りをあえてする必要はないと考えています。あくまで持論ではありますが、まずは小学校の内容が当然できている前提で、それプラス勉強だけでなく何かしら熱中できるものがあるという土台を作っておくべきだと思います。僕の場合は年長の段階ですでに小2の漢字をやっていたり、チャレンジ何年生の付録にあった四則演算のゲームをひたすらやっていたりして、それで計算が速くなっていました。逆に特殊算は塾に入るまで全く知らなかったです。受験生を教えていても、やはりできる子たちはまず小学校の内容は当たり前にできていて、なおかつ素直ですね。「ここは遠回りな計算をしているからこうしたほうがいいよ」と言うと「分かった」とちゃんと聞くんですよ。そこができないと、たとえ小4から始めても、本質がつかめないまま時間だけが過ぎていってしまうというのはあるんじゃないかと思います。
また、子どもが受験勉強を始めるまでに教えられることの一つとしてノートの取り方もありますね。毎回生徒に「ノートに問題のページと番号を書いて、間違えたところは繰り返し解くためにテキストにチェックをつけてね」と言いますし、僕が書いたお手本も見せるんですけど、なかなか実践できない。
開沼:できる問題とできない問題を仕分けて、できない問題を反復するというそれだけなんですけどね笑
柴田:本当にそれだけなんですよね笑 素直な子はやってくれるんですけどやってくれない子もいますね。
開沼:ちなみに小3で等差数列を扱うとありましたが、それができる子はどういう過程でできるようになったんですか?
柴田:段階的に一つずつ理屈を理解していった形ですね。等差数列を理解するには植木算が必要で、植木算というのは例えば「木が8m間隔で10本並んでいるときの、木の端から端までの長さを求めなさい。」という問題なんですが、ここで陥りやすいパターンとして「公式を丸暗記してしまう」というのがあります。今の問題だと木と木の間の数って木の本数-1で、なぜ-1が出てくるかというのも普通にやってみたら分かることなんですよね。でも公式として暗記だけをしていると、「テキストに-1って書いてあったから」と言うんですね。そうすると、等差数列のN番目を求める式って「初項+公差×(N-1)」で、このN-1というのは植木算と同じ考え方だというのが理解できているとスムーズなんですが、植木算で変な覚え方をしていた子は等差数列が分からなくなるんですよね。このようにやってもやっても成績が上がらない子の原因の一つとして、公式の丸暗記というのはあると思います。
4.中学受験が原因で家庭環境が悪化するのを防ぐには?
柴田:家庭環境が崩れる原因の一つとして、親の理解が足りていないというのはあると思います。親の素直さや、受験を本質的に理解することが必要で、例えばちょっと偏差値が下がったから怒るというのはよくあります。でも偏差値が下がったことそのものより、まずどこを間違えていたかを見ないといけないです。もし親が科目のことをよくわかっていないなら先生に任せるとかもできますからね。
開沼:頭ごなしに怒ったり、とにかく時間をたくさんかけろという論理的ではない指摘をしたりするのはよくないんですよね。「なんで集中していないんだ」というのもよくありますが、面白くないから集中していないだけです。どこを改善すればいいのかを考えずに根性論になってしまうと家庭が崩壊してしまいますよね。親が子どもに目線を合わせる、親自身も勉強するという気概がないとトラブルのもとになってしまいますね。
柴田:「勉強しろ」という言葉がよく使われますけど、あれだけを言うのはよくないですね。「じゃあ具体的に何をやればいいのか」というアドバイスをしないといけない。だから僕も生徒には具体的に言うように意識していますけど、その意識ができない親は結構いるんじゃないかなと思います。勉強していた時間だけを見る人もいますが、勉強量を時間で設定するとダラダラ3問だけ解いて1時間経っているみたいなことになることがある。だったら時間ではなく問題数を設定したほうがいいんじゃないかと思います。
開沼:ダラダラ時間を過ごすだけになると全員不幸ですよね。親はお金を払うわけで、子どもはボーっとしないといけない時間はつらいだろうし、教えている側も成果を出してあげられない。そういうミスマッチを解決してあげられる方法があるといいなと思います。両親とも受験とは何かを分かってるけど忙しくて時間を割けない時に、サカセルのような良い個別指導塾を見つけられるといいマッチングになることは多いと思いますね。
親が受験をしっかり分かっているのにそれでも上手くいかないパターンってどういうものがあるんですか?
柴田:結局そこは子どもの成熟度だと思います。何回同じことを教えてもできないことはあります。
開沼:親が思っているより自分みたいにスパスパできないというときに困るということですね。
柴田:そういう時に親が妥協できるかということはすごく大事だと思います。例えば極端な話、小学1年生に微分積分を教えても分からないわけで、小学6年生にとっても中学受験の内容は一般的には難しいです。なので、子どもの適性を見極めて今のこの子には合っていないんじゃないかと引くことも大事だなと思いますね。
5.親自身がやるべきこと
開沼:親がやるべきこととしてリスキリングというのがあります。昔は60歳で定年だったが、今は人生100年時代と言われるようになり、人によっては老後の資金や生きがいのために70~80歳まで働くようになってきた。そうであれば40・50代からリスキリングをして視野を広げて次のフェーズへ行こうということになるわけです。東大の大学院ではリスキリングを目指そうという社会人の受験者が増えています。ここから言いたいのは、親自身も視野を広げるという気持ちがないとダメだし、その背中を子どもに見せていくことが中学受験でも差につながってくるということです。今リスキリングを始めようとしている人はどんどん始めているし、子どもが大学に入るころに自分も大学院に通っているかもしれないくらいのイメージを持っておいたほうがいい。それが当然になる社会が来るんじゃないでしょうか。
三宅:親自身が学ぶ姿勢はすごく大事だよね。実際、サカセルでは親も教室にいることが多いし。それに、コロナ禍に入ってから親が家で仕事をする機会が増えたけど、親が実際に働いている様子が見えるから子どもにいい影響を与えている場面も多いと思う。多分。
開沼:官僚や一流企業の人と仕事で接する機会があるんだけれども、いかにも漫画に出てきそうな視野の狭い、融通の効かない勉強だけはできたような人もいる一方で、視野を拡げる努力をし続け大人になっても変化する人もいる。全然違う分野の人同士で酒を飲むときにエンターテインメント的にも教養的にも話が面白い人がいるけれども、一流の人が一流の教養を常に見つけようと努力していると感じる。飲みながらでも意義ある話ができるかというのは、中学受験で柔軟に物事に対応できるかというところと直結していると思います。
☆社会学から考える中学受験②はこちら