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算数嫌いが考える、塾に行った意味とは Column

算数の学習法

算数嫌いが考える、塾に行った意味とは

2020.12.01

はじめに

こんにちは!慶應義塾大学4年のH・Yです。

大学では数学も使いながら経済学を学んでいる私ですが、小学生の時には算数がずっと好きではないと思っていました。勉強を始めるときに疲れていたりすると、自然と手が伸びるのは好きだった理科や社会のテキスト。どうしてあの時算数を避けていたのでしょうか。

今回は大学生になった私が当時小学生であったH・Y少年が何を考えていたのか振り返ってみたいと思います。そして、それをもとに次回、算数があまり好きではないながらも塾に行くことで自分にどんなよいことがあったのかを考えてみたいと思います。

算数で点が取れない→楽しくない→嫌い?

まず考えてみたいのは算数が楽しくなかったから嫌いになったかということです。

ではそもそも、算数がなぜ楽しくないと感じたのでしょうか。最初に考えられるのは算数の成績についてです。小学校6年生のH・Y少年は、塾で毎週志望校別の対策試験や、その週に学んだことの確認テストを受けていました。ホームページを覗くと、彼の成績が各教科に点数、偏差値、順位という数字によって表示されています。それらを確認して彼は算数の成績が比較的よくないことを毎週思い知らされます。ただ、クラスの中でビリという訳でもありませんでしたし、トップでもなかったため、それはあくまで自分の他の教科と比較してのことでした。もちろん若きH・Y少年は成績で一喜一憂していました。

しかし、算数の成績が他の教科より良かった時もあれば、他の教科より極端に悪かった時もありました。そのたびに算数がより楽しくなったり、面倒になったりしたのかと言われれば現実にはそんなことはありません。そのため、点数の悪さによって算数にネガティブな感情を抱きながらも、点数と楽しさの関係は単純なものではなかったようです。さらに一般的なことに敷衍しても、「結果が出ないことは楽しくない」というのはいつも正しいわけではありません。楽しいことは結果がでることとは限らないからです。

単純に算数の点数でないとすれば、それに影響を及ぼしていた内容に目を向ける必要がありそうです。ここで注目してみたいのは算数の「考え方」です。算数の考え方には何があるでしょうか。今ここで全てを振り返ることはできませんが、一部を取り出すと、以下のようにまとめられるように思えます。

「複数の物事の関係を式の形に抽象化する。」

「問題文で提示されている情報(追加情報であったり制限)を抽象化した式の形に落とし込み、それをもとに未知の情報(解答)を求める。」

例えば、つるかめ算であれば、鶴と亀が集まったときのそれぞれの数と足の本数の関係を抽象化し、足の本数からそれぞれの動物の数を求めます。

自分は上記2つの要素のうち、1つ目において、物事の関係を捉えることができても式の形に抽象化するのが上手くいかないことが多かったように思えます。そのような考え方が自分に馴染み深いものではありませんでした。そうすると、普段と異なるこの考え方をすることは痛みが伴うものであったというのは想像に難くありません。小学生のH・Y少年は頭の中で一種のカルチャーショックを味わっていたのです。痛みは不快さ、つまり楽しくないということに繋がっていったと考えられます。

しかし、この痛みだけが算数を楽しく感じなかった原因だと言ってしまうのは性急でしょう。例えばラグビー選手は痛いからといってラグビーのことを楽しくないとは言わないですし、ある程度の負荷をかけ痛みを伴いながらも楽しいことは現実に存在します。

では、ここでH・Y少年に欠けていたのは何なのでしょうか?最後に考えてみたいのは算数を学ぶ「目的」です。当時算数は試験があるから勉強していました。週末の試験で良い点数を取るため、引いては希望の中学校に入学するため。しかし、各試験が終われば一時的に算数を勉強することが無意味に思えてきてしまいます。そのため、問題を解くこと自体が「目的」になっていた理科や社会に比べると、算数を解くことのそれはより弱いものだったのです。

ここまでをまとめると…

まだ書き進めていくこともできそうですが、長さの関係上この辺で止めておきましょう。以上の振り返りから、どうして算数が嫌いであったかは、結局以下のような図式にまとめられるのではないでしょうか。

  1. 算数の考え方に慣れていないことから結果も出ず、慣れない思考方法はつらいものである。
  2. 算数を勉強する目的が各試験に向けてのもので弱かった
  3. これらのことから算数が楽しくないと感じていた、それゆえに嫌いになっていった

(図1:どうして算数が嫌いになったか)

ここまで考えると、私にとって、「ただ勉強する場所」であった塾という存在を捉えなおすことができます。例えば、算数を学ぶ「目的」が弱いというポイントに関してはその弱い「目的」さえも大部分を塾によって用意してもらったものであったのです。そこで、この塾の役割について、算数が嫌いだった自分の立場から振り返ってみたいと思います。

嫌いなことはやらないわたし、嫌いでもやらなきゃいけない塾

まず、結果が出ず、辛く、目的が弱いために楽しくなくて嫌いになっていくことを誰が好き好んでやるでしょうか?少なくとも小学生の時の私にはそれは難しかったように思えます。そして、もし小学生のH・Y少年がもし算数の勉強をもっと不真面目に行っていたら、試験の結果も一層落ち込み、さらに楽しくなくなっていくという負のスパイラルに陥っていたかもしれません。これを図に書き加えてみると、以下の青い線で示されているように嫌いという気持ちが自己増殖する仕組みが完成してしまいます。

(図2:算数が嫌いになる負のスパイラル)

では、この点での塾の役割は何であったでしょうか。もちろん、最終的に勉強するか勉強しないかは本人次第であると言ってしまえば確かに間違いではありませんが、私は塾に行くことで、自分がそれを好きかどうかにかかわらず勉強をしなければいけない時間が決められていました。そのため、この負のスパイラルの影響が抑えられていたのかもしれません。この観点から見ると、「塾は受験のために小学校と追加で勉強するところ」という塾の機能として私がもともと捉えていたものに一番近いかもしれません。

式の意味を教えてくれた(こともあった)塾

次に算数の「考え方」についての観点から塾を捉えなおしてみましょう。この算数の「考え方」がどうして算数の楽しくなさひいては算数を嫌いになることに繋がっているかは前回の記事を参照してください。

これに関しては、普段の生活の中から習慣的に獲得できるもので、必ずしも塾に行っていたからといって一朝一夕で身についたり、新しい考え方に慣れたりすることはないのではないでしょうか。例えば釣り竿を人から借りることは簡単ですが、それを使って上手に効率よく釣りをできるようになったり、大きなマグロを釣ったりはすぐにはできない様に、知識として考え方を教わったところで、それを上手く使用できるかは別の話です。

しかし、全員ではありませんが、塾の講師の中には自分にそった思考方法で算数の式や解き方の解釈を説明してくれる方もいました。これは、英語で書かれているものを日本語に翻訳して説明してくれるようなもので、すんなり理解できるのです。ただ、図形の問題など、小学生が受験勉強で学んだり、解いたりすることすべてを数式に落とし込まずに意味を説明することは時間的にも限界があります。さらに、試験で結果を出す事だけを目的にした授業を行う講師もいました。そのような人は、分からないことを授業中言われ続けるだけでいよいよ算数は楽しくないと感じていました。

中間目標をたくさん作ってくれた塾

前回、算数に関しては算数を学ぶことそれ自体が目的になっていなかったために、算数の勉強に無意味さを感じて、楽しいと思っていなかったと振り返りました。それでも、志望校に受かることや週末の試験で良い点数を取ることは弱いながらも算数の勉強の「目的」になっていたのでした。志望校の受験を除けば、これは塾によって設定されたものです。換言すると、山を登るときに、山頂へ上る道の途中にたくさんの山小屋を作って、そこまでとりあえず頑張れと励ましているようなものだったのかもしれません。

試験が弱い目的であると言っているのは、目標になっていると、それが終わるたびに勉強の目的が失われ、算数の勉強が無意味に感じられるためでした。しかし、塾は毎週試験を課し、できるだけ、生徒が行きつく暇なく次の目標が設定されるようになっていました。自分はこれに疲れてしまうこともありましたが、だからといって、小学生の自分にその時々に見合い、最終的に志望校に合格するような中間目標設定をできたかというとそれは難しかったでしょう。山登りの例をもう一度使うと、早くても険しいルートと緩やかで長いルートがあるときに、生徒が滑落しないように、生徒に合わせて目標設定を通じてガイドをしていたのが塾だったと言えるでしょう。

おわりに

以上の事を再び図にして確認してみましょう。赤い字で塾の機能を3つ追加しています。

(図3:算数嫌いの私にとっての塾の役割3種)

この図によると、塾はただ講師が授業を行い、生徒が勉強する場所ではなく、3つの機能が算数をより嫌いにならないように働いているのが分かると思います。つまり、自分は塾に行ってなかったら小学生の時にすでにもっと算数が嫌いに、そして巡りめぐって今はもっと数学が嫌いになっていたかもしれませんね。

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H.Y

この記事を書いたのは...

H.Y

慶應義塾大学4年
ハンドボール、スカッシュ、尺八と
マイナーなものをせめがち。

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